ミヤハラヨウコの日記

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2009/12/13  橋のない川

高校時代、読むべき本として
在郷の作家、住井すゑの
「橋のない川」を勧められた。

図書委員だったし、棚は分かっている。
蔵書の少ない図書室でしたしね。
試しに抜き取ってぱらぱらと、
どうも、ピンと来ない。
扱っている内容が “差別” についての話であって
冒頭の「橋のない川」の夢にも
正直、はいって行きにくかった。

去年なんだか無性に気になって読んだ。
一冊で終わりと思い込んでいたが
よく見れば全7巻。
最後の巻は、作者80歳になろうという時のもの。
私が高校生のころには
7巻目は世にでていなかった計算です。

たしか沼のほとりにお住まいだったと思うのだが、
それは作家として活動するようになってからのことで
出身は、奈良。
舞台は、明治から昭和初期
エタと呼ばれた部落の人々の話だ。

高校生の自分が拾い読みした箇所は
すぐ分かった。
少年が尋常小学校の職員室で
「エタはどうしたら直せる?」
と先生に聞いている所だ。
そんな重い物を突きつけられて
だれも答えを持っていないのは、
分かりきっているけれど
少年は、まっすぐに切実に、求めている。
肩を抱いてあげられたらいいのにと思う。

今、そんな話は聞こえてこないけれど
差別はいつの時代にもあって、
どこの国にもある。
悲しい話、個人の心のなかにあるものだから。

そんなお話ではあるのだけれど
少年時代が瑞々しく描かれていて
あっという間に読み終わった。

住井すゑさんは、7巻のあとも
続きを書こうとされていたようでした。
だって、それらの(身分)解放運動は
昭和初期の太平洋戦争へと
向かって行く時代こそ
正念場だったはずなんです。
お話は、その直前で停まってしまいました。

本の最後に解説として、文章を寄せている方が
長編小説を読むのが好きで
これも長編小説のひとつとして
読んだという読後感を中心に書いているのも
残念な感じでした。

長編小説というとどうしても長じてからに
重点が置かれるように思うけど
私は、子供時代が一番おもしろいと思う。
(きっと、まだまだなんですね)
ただし、これは少年を主人公という形にしているけれど
社会の一番底辺にいた
女性から見た、日本像なんです。

いつだったか、黒柳徹子さんが
どんな映画が見たいかときかれて
ある人物の人生をただ、たんたんと写した映画。
それこそ、朝起きて、顔を洗って、仕事へ行って。
えんえん、ノーカットで主人公の生活が写されている映画
と、こたえていた。
それを、行きたいとき、ふらりと映画館へはいって
彼の人生を覗き見て、
帰りたいときに帰り、また訪れる。
そんなふうな見方をしたいと言ったように思う。

だから、主人公より、長生きしないと
彼(もしくは彼女)の人生は
完全にはわからない。
といっても、見ていない時間があるのだから、
どうやったって完全には分からない。
(早送りすれば分かるかもしれないけど、映画館ではね)

そんな映画(20代の)私は見たいかな?
と思ったけど。
今なら、何となく見たい気がする。

それを、作ってしまったというわけではないでしょうが
「トゥルーマンショウ」という映画がありましたね。
彼の生活は、常時テレビショウとしてモニターされていて
本人だけがそれを知らず、
つくられた環境のなかで彼の人生を生きる、はずなのだが。

黒柳さんって本当にユニーク
「窓際のトットちゃん」以来、そう思っています。
バスの幼稚園で、本当にいい先生に出会えたんですね。
いい先生には、たった一人でも出会えれば
それでいいんですよね。

長編小説の話が、長編映画の話になって
しかも、先生の話になってしまいました。
でも、それでいいんです。

2009/11/11 前掛け

近所にあったアパレルのアトリエセールで
エプロンを買ったのは、ずいぶん前のこと。
古くなったし、ぞうきんにしようと
はさみを入れようとして
見とがめられた。
ウチの子供にとっては
とても思い出深いものだったらしい。

子供の小さい頃の服なら
そりゃあなんでもとっておきたい所だけれど
そんなことしたら
すぐに収納はいっぱいになってしまう。
大事なものだけとっておけばいい。

たとえば、
ピアノの発表会用にと
麻のワンピースを縫ったことがあって
(大英博物館に行った時、子供たちが着ていた
水色の制服がすごくかわいかったので
ぜひとも一着ほしかった。
もちろん探してみたけど、どうもピンとこない
となれば、作るしかないでしょう)

セーラーカラーの水色のワンピースは
子供には人気なかったけど
大人たちにはぐっときたらしい。

その後、同級生の男の子の妹さんに
お下がりとして
もらってもらった。

彼女は同じ幼稚園に入園したので
以前、園児服などをお下がりにしたことがあった。
ほかの女の子たちがつけている
目立つアップリケや刺繍飾りにくらべれば
あまりにも控えめな、小さな飾りリボンを
「好きだ」と言ってくれたので。

小学校を卒業するとき、
あのワンピースが、お礼のリンゴといっしょに戻ってきた。
彼女のお母様が、
(ウチの子が)大きくなって
子供を持つようになったら
ぜひ着せてあげてください、と言うのだ。
きちんとクリーニングにだしてある。

母親に比べれば、
物持ちがいいのか、悪いのか分からない私だから
それまでしまっておけるかどうか
ほんとうに心もとないけれど
こうして手元に戻って来たのですからね。

さて、エプロンの話だった。
自分のエプロンなんて
子供の服に比べれば
なんの思い入れもないし
なんといっても、ウエスに最適!
子供が留守の間に、
いつもそうするように
15cm角くらいに切って、
シンクの下にいれておいたら
そっそく見つかって
泣かれた。

近所の子供たちと
しゃぼん玉液をつくって、飛ばして遊んだ時も
お誕生日のパーティーを
庭でやった時も
私はそのエプロンをしていたんだっけ?
ちょっと悪い事をした。
反省しています。

今は、胸までおおうエプロンていうのも
なんだかおおげさで
もっと小さい、腰回りだけの前掛けを愛用している。

青山の骨董屋で
古い木綿の前掛けをみつけたので
あるだけ買った。
と言っても、3つ。
昭和30年代頃までは
こんな前掛けがよく使われていた。
反物を50〜60cmに切って
短手の端に結びひもをつけただけのもの。
もんぺによくあるような、縞、水玉、かすり模様。
着物姿の茶摘みの女の人がつけてる
長めの前垂れ、あれです。

それを縦横、逆にして
長手のほうにひもをつけ直して使っている。
たれ部分は、濃紺にうす茶の縞。
もともとついていた結びひもが
前掛けにしては、凝っていて
藍の細かい型染めっていうところも気にいっている。
多分、男物なんだろう。巾も少し広め。
動きやすいし、つけはずしも簡単。
残りは人にあげてしまって、手元にはもうこれだけ。

洗濯をしてみてびっくり
ものすごいごわごわ。
そうだった! すっかり忘れていた。
昔の木綿生地は
洗うとこんなふうに固く、ごわごわしていたっけ。
そして使えば使うほど
布は柔らかくなっていくんだよね。
「生地が慣れる」て祖母は言っていた。

そして使えば使うほど
繊維が細って、裂けやすくもなる。
私の前掛けも、洗濯しても、もうごわごわしない。
ほころびを直しながら使っている。
これは、雑巾にはできないなぁと
心ひそかに思っている。


2009/10/24  CUBE

「キューブ」は謎の立体パズルのなかに
とじこめられた人々の、脱出の話。
(中心まですべて立方体で構成された、
巨大“ルービックキューブ”と想像すればいい)

自分がなぜ、この場所にいなければならないのか
ここがなんとおそろしい死の罠を、はりめぐらせた迷路か
だんだんとわかってくるほどに、
敵は誰か? 自分は罪人なのか?
ますます訳がわからなくなってくる。

キューブリックのクリーンな未来を
そっくり真似ているようでいて、全くドライ。
そのぶんむき出しの、殺伐とした世界観です。
キューブリックは、なにもかも超越したような世界を描いていても
やはりスポットは人間にあたっていて
それを描きとおそうとする人間の視点を感じるのです。

私はヴィンチェンゾ・ナタリ監督の
「キューブ」より「カンパニー・マン」の方がおもしろくて
3回ほど見ました。

これも近未来のお話。
サラリーマン生活にあきあきした男が
ちょっとした気晴らしのつもりで、スパイの世界に。
ほどほどの任務をこなしたところで
もっと刺激的な、企業に潜りこんでの産業スパイに昇格。

企業は極秘事項を守るため、
脳のスキャンをして、会社の人間の信用性を確認している未来なので
彼の脳に、記憶の一部をねつ造して焼き付ける
つまり、機械をつかって、過去の記憶を書き換える
スパイの身元がバレないように。

彼がピンチに陥ったとき、
必ず助けに現れる女性。
当然のように心ひかれていく。
彼女の事を知ろうとすると、
この作戦をなにかもっと大きな視点であやつっている
男の影が見えてくる。

それにしても、なんで3回。
「キューブ」の時にも、ちらと感じたのですが
装置の動かし方が、絶妙なのです。
なにもない野原に、
突然開く、地下への通路。
地面から音もなくせり上がってくるタラップ。
そのスピード、唐突な止まり方。
意思を持ったような入り口は、すべてが収まるべきところに
ぴたりと収まると、あとはシンとして
訪問者を待っている。
映画のなかの、意地のわるいオペレーターの意思が
そのまんまでているのです。

「ロボコップ」を思い出します。
暴走した警察ロボットが
階段をおりられないジレンマから
足の先端をひくひくとさせるあの動き。
(ロボットにいらだちの演技を要求する
ポール・バーホーヴェン って!)

それから、鳥のさえずるお庭の、池のまわりを
小さな小さな戦車が走り回って
大砲をぶっぱなしながらレースをする、
あのイギリス製のゲームも
頭をよぎりました。
その動き、センスいい。

もうひとつ、
主人公の男が、スパイになりたての頃
カクテルパーテーで、
私の夢はタヒチで自前のヨットを浮かべて
セーリングすることだ、とかなんとか言うのですが
その“タヒチ”の発音が、いい。
(インターFMのガイ・ペリマンも
なかなかセクシーに言いますけどね)
そのあたりから
さえないおっさんだったはずのサラリーマンが
ちょっと危険な雰囲気に。
B級映画ですが、お気に入りです。

機械で脳の記憶を改竄する、というお話のひとつに
「エターナルサンシャイン」というラブストーリーがあります。
いつもの、つくってる感じのジム・キャリーじゃなく
ケイト・ウィンスレットも等身大の女の子って感じ。
これまでの役柄とはちょっと違っていて
楽しく見ました。

SFというと今はなんだか
CG使いまくりの超大作か、
オタクっぽい世界が思い浮かべられるようですが
私の中では、それはなんだか違うんだなぁ。

学校で教えてもらった“数学”
日常生活になんの関わりもないように思えるけれど
私たちの生活に、これほどとけ込んで活用されている
ものはないでしょう。
SFもすっかり日常に紛れ込んでいて
わからなくなっているのだろう。

地下鉄の車内吊りで
“アイロボット社”製の掃除機ルンバ
の広告をみたりする時ー!
(“いつもここから”風に)

頭の中では、アシモフの
「アイ ロボット」や「宇宙気流」が彗星のようによぎり
フレデリック・ブラウンのフレキシブルロボットや、
ハインラインの「夏への扉」の猫ピート、
もうすぐ電池切れのロボット達が、電力を節約しながら
長い長い時間をかけて会話する
そんな情報世界が一瞬で駆け抜ける。
私もいつの間にか、SFの世界に
取り込まれてしまったような錯覚をする、
そんな時!
今はB級こそ、SFの世界なのかなと思う。


2009/9/28  Juno

16歳で妊娠してしまった女の子「ジュノ」
彼女なりに真剣に考えて
赤ちゃんを産むことにしたのだけれど
彼女が決めた事は、
この赤ちゃんのために完璧な両親を捜すこと。

彼女は、自分がまだほんの子供だと
分かっていたし
まっすぐなところが共感されたんだろう。

でも今日は、そのお話じゃなく
5、6年前のフランス映画に
「クレールの刺繍」というのがあって
こちらは17歳の女の子。
彼女ものぞまない妊娠に一人悩むことに。

彼女が決めた事は
「匿名出産」
フランスの産婦人科では
出産にお金はかからないし、
望まない子供には、里親を探してくれる制度がある。

女の子が一人で出産に立ち向かわなくてはならないとして
30数万(日本の場合)のお金や
世間からの目、
その後の赤ん坊の世話や
それに付随するもろもろを引き受けていかねばならないとして
それを考えただけで、くじけない人がいるだろうか。

たとえば、柳美里みたいに
不屈のへそまがり(褒め言葉ですから)だったら、
立ち向かえるかもしれないけれど。

ちょうど日本の出生率低下が
問題視されていた頃で、
反対にフランスの出生率はのびていた。
なにかと比較されていた。
出生率アップの理由や政策は、いろいろあるのでしょうが
フランスでは「堕胎」が選ばれようとする時
ほんの少しでも「出産」という道を
選びとりやすくしたかったんだね。

日本でも出産費用は
健康保険に加入していれば返ってくるのだけれど
それは出産後申請などの手続きを経たあと。
実際の出産時、病院や産院では
自分で費用を払わなくてはいけない。
しかも、自分の健康保険を使っても
自治体がお金を振り込むのは
筆頭戸籍者、宛。
その筆頭戸籍者、つまり夫がいないとなると
またまた面倒な手続きが待っています。
いざ出産となれば、
病院たらい回し事件だってあったしね
妊婦にとっては、相当リスク高いです。

お話の最後でクレールが選んだのは、
うまくいかない母との関係を改め、
一緒に子供を育てていくこと。
それは、人との出会いもあったし、
大好きだった「刺繍」と再会したからだ。

高校の同級生だった男の子が事故で亡くなったことを知り
お悔やみに行く。
彼との関係は描かれていなかったけれど
彼も母一人、子一人の家庭だった。
その母親が刺繍工房を開いている事を知って
クレールは無理やり雇ってもらう。
もちろん、妊娠5ヶ月のことは秘密。

婦人が作る刺繍のストールは
パリコレクションのファッションショーで
有名デザイナーが発注するような高級刺繍。

日本では「フランス刺繍」とよばれている。
先に閉じたりひらいたりする鍵のついたニードルで
オーガンジーの布の表面に、
チェーンステッチのような細かい刺繍を施していくもの。

一人息子を失ったことで、
創作意欲を失ってしまった婦人は
作りかけの刺繍を
ながいこと工房の隅に放りっぱなしにしていた。
日々こなさなければならないのは、
ソックスやハンカチにいれる、ワンポイントのミシン刺繍。

婦人が出かけている間、
クレールはその作りかけの刺繍をこっそり自分で刺繍する。
少し進んだところで、
オーガンジーの薄い布にニードルで裂け穴をつくってしまった。
婦人が帰ってきてそれを見たとき
しばし迷いはあったけれど、
怒るのはやめることにした。
「大丈夫、きれいに直せる」

クレールの抱えている問題も見えてきたし
クレールと一緒にこの刺繍を作り終える事で
自分も前に進むべき時だ。

二人で並んで刺繍をしていると
言葉は交わさないのに、
気持ちが通い合って行くのが見える。
息づかい、手の動き、
お互いがお互いを、気遣っているのが、分かる。
その刺繍がまた、きれい。

手芸は世界的に女性の仕事
(最近は編み物男子も増えてきたし
アンデスの高原地方でヤギの放牧のかたわら
細い棒針で編み物をしている男性を、なにかで見たけどね
それはまだまだめずらしい光景だろう)
手仕事はいいなあと思う。
伝統的な手仕事には、
もの悲しさがついて回っているような世界だけど
辛抱づよい単調な作業が
美しいものを紡ぎだしていく。
長い歴史のなかで、女性がそんな手仕事に
慰みを見いだしていたことも
あっただろうと思う。


訂正とお詫びと、補足

文中で、お金をふりこむのは「自治体」とありましたが、誤りです。
社会保険庁、または健康保険組合です。
たいへん失礼しました。
そして、この10月1日からは
一部の地域をのぞき
医療機関へ直接の振込になりましたので
出産にあたって
個人で支払いをしなくても良くなったのです。
もっと早くそうできたと思いますが
まずは一歩、ですかね。

2009/8/23  皆既日食

46年ぶりの天文イベントというのに、
蝶の羽化に気をうばわれていて
曇り空を一回見上げて終わった日食。
雲の切れ間に、欠けた太陽を見た人もいたそうだから
もうちょっと見とけば良かった。

テレビの番組で、
「皆既日食の時、実験してみたいこと」募集していた。
個人的に、実験してみたいことは思いつかなかったけれど
ぜひ、見てみたい光景がある。

日食の時、地球にうつる月の影はどうなってるの。
地図上に描かれた、日食ゾーンは、
ゆるく弧を描いて
インドから始まり、太平洋上で終わっていた。
あのラインの巾が、月の影の巾。
てことは、地球の4分の1の大きさのわりに、
小さく感じる。

太陽の光線は、
太陽が大きすぎるために、ほとんど垂直と考える、
と理科の先生が言ってたから、
距離のせいで、実際より大きく映ったり
小さく映ったり、ということはないはず。
そうか、影のまわりには、黄昏ゾーンがあるはずだから
その分小さくなっているのだろうか。
ということは、地球に映った月の影の周辺は、
ぼんやりにじんでみえるんだろうか。

月の影をみるためには、
地球の外にいなければならないけど、
静止衛星くらい離れていれば、
撮影できそうだ。
シロウト考えだけど。
でも、今まで、そんな映像お目にかかったことがない。

地球上にうつる、月の影は
見所としては、つまんないのだろうか。
ただの丸い影だからか。
確かに、地球からの眺めのほうが
変化にとんでいておもしろいだろう。

あの日は、お天気が今ひとつだったから、
雲に影が映っているくらいの光景だったかな。
アフリカやインドの大陸の真ん中に、
まんまるな、月の影が映っていたら
それはそれで、おもしろいような気がする。

短時間とはいえ、ペンギンが眠ってしまったり、
皆既日食の終わりには、鶏が時を告げたり
そこにだけ訪れたちいさな夜を、見下ろしてみたい。

2009/8/5  銅版画の鳥

中学の美術の教科書に載っていた
長谷川潔の銅版画。
暗い色調の作品のなか
その銅版画はすんなり目にはいってきた。
鳥の絵だった。

その絵が好きだったかというと
そうではない。
精密に描かれているようでいて
なにか、だましうちにあっているような、
鳥の形が独特で
その時の私には、親しみずらい線だった。

2、3年前、長谷川潔のカタログをぱらぱらと見ていて
その版画を見つけた。
代表作のひとつといえる作品だから、当然だけど。

ただし、記憶とは全く違って見えた。
女性的と思っていた線は
とても男性的で、
ぴったりの線と量で刻みこまれた鳥。
すぐにも飛んで行ってしまいそうで
どこにも行かない、重さのない鳥。
それは長谷川潔の理想の姿をした鳥。

今は、即座に好きだと思う。
私も鳥を飼うようになったからだろうか、
いやいや、子供の頃にも、鳥は飼っていた。
きっと長谷川潔が鳥にそそぐ愛情に共感できたからだろう。

我が家の初代ピーちゃん、
コザクラインコのピカソが死んだとき。
胸が苦しくて、つらかった。
ただいま、とドアをあけると、飛んできて肩にとまった。
引っ越しの荷作りを監督した。
トイレットペーパーの芯を通り抜けられるくらい細かった。
もっと遊びたくて、籠に帰るのをいやがった。

お悔やみの言葉と一緒にいただいた篆刻の印。
「人知鳥意
 鳥知人」

人 鳥の意ヲ知レバ、 鳥 人ヲ知ル
と読み下すのでしょうか。
眺めているうちに、毎日少しずつ
痛みが去ってゆくようでした。
ありがとうございました。

鳥は犬や猫とは違うけれど
確かに知性のひらめきがあって
こころに答えるものがある。
個性があって主張がある。
彼らが恐竜の末裔としたら、
恐竜はどんな社会を築いていたか
のぞいてみたい気がします。

あの絵のなかにいるのは
飛んでいってしまった鳥。
飛んでいってしまったけれど、
長谷川の手で永遠に
そこに刻み付けられた鳥なのだと私は思ったのです。

ところで、教科書にのっていたのだから、
私も、銅版画の作品を作ったに違いないのに
全く思い出せない。
小学校で描いた絵は、ほとんど覚えているのに。
でも、銅板のレリーフを作ったことは、良く覚えている。

顔がテーマだった。
私は、級友をモデルにした、席が隣だったから。
たしか高村光太郎の妻と同じ名前だった。

彼女はバレー部。
手のあかぎれがひどくて
指のテーピングのあいだから、
ぱっくりあいた傷口がのぞいていた。
家事手伝いをしても、
ハンドクリームも塗らせてくれない、
なんだか厳しい家だという噂だった。
(今考えると、よくわからない話
噂ってそんなものかな)

銅板に下絵を写しとったら
裏側から、釘のような金属をうちつけて
絵を浮き上がらせる。
コツコツコンコンと細かく地味な作業の連続。
最後に銅板を腐食させ、赤がね色にして
色がかわらないように薬品を塗幕して仕上げた。

あの作品は、廊下に展示された後、
どうなったか忘れた。
春休み前に、手元に戻された気もするけれど。

2009/7/2  ウグイス

春先に、隣の庭で、さえずりの練習をしていたウグイス。
あんまりにもヘタなので
聞いてるこっちも思わず、力がはいっちゃって
朝からどっと疲れたものですが、
なんとかうまく鳴けるようになって
朝早くから、ホーホコケキョ
と鳴いている。

ちょっと余計な感じがしないでもないが
無事に彼女をみつけられるといい…なと、あれ?
そういえば、あのウグイス、隣の庭ではもう鳴かない。

練習だけ、さんざん大音量で聞かされたのに
本番は違うところで?
遠くで聞く分には、のどかな風情があって、いいけどね。

多分、お隣の庭は、ちょうど、ウチをいれた4件くらいの家の壁に囲まれていて
音が、横方向へはもれていかない場所なんじゃないかな。
ウチは低めの植栽だけど、
お隣は、高さのある樹が込み入ってるから、姿も隠せるし。

彼は彼なりに、考えての行動なんだろう。
なんと言っても鳥だけに、音響に関しては、プロなんだから。
将来の彼女に恥ずかしい声は、聞かせたくなかったのかな?
などと、ほんとかどうか分からないことを、考えてみた。

ついでだから、近所の他の2羽のウグイスの話。
大きな公園を含む一帯で鳴くウグイスは
テリトリーも立派だし、わかわかしい声で、鳴き方も完璧。
以前住んでいたアパートの小さな庭で、鳴いたのも、この鳥なんでしょうか?
もう4、5年前だから、一世代前かもしれません。
近くで聞くと、ほんとに大きな声なので、びっくりします。
姿が、とても地味なところも、意外です。

もう1羽は、おおきめの樹が一本、周りを篠竹の林がかこんでいる場所。
飛び地で、小さな公園と小学校を含む、やや手狭なテリトリー。
近所にあった大地主の古い家と桃の林が、つぶされたのはいたかったにちがいない。
ここは、斜面なので、家も建たず、のび放題の篠竹は
びっしり込み入って、人を寄せ付けない。
鳥の子育てには、良さそうだ。
(以前、キジバトもここで子育てをしていたっけ)

ここのウグイスは、もうお年寄りなのか、
ケキョ ケキョ ケキョ ケキョ…
の、さえずり部分では、声をからしながら鳴いていて
ちょっと切実です。

鳥にも、もちろん個体ごとに個性があって
いろいろなんだと感じますよ。

鳥の求愛行動は、種類によってさまざまに違っていて
チャーミングで、独創的。
そういう映像を見るなら、
デイビッド・アッテンボローのBBCのDVDがおすすめです。
鳥の他にも、動物、植物、虫。
ここまでやる?! 
ていうほど、執拗に撮っています
美しさとエグサのすれすれまで。
それが生き物の世界なんだと痛感させられます。

アッテンボローの「鳥」のなかで
私が一番心にのこったのは、
珍しい鳥達の貴重な映像よりも、
実は、樹のてっぺんでさえずっているコマドリでした。

日の出前、森の鳥たちが、一斉に鳴き始める
モリバト、コマドリ、ブラックバード。
もうすぐ訪れる、朝日をむかえる喜びか
自分の存在を周囲に知らしめるためなのか。
鳥たちののクチバシからは、さえずりと一緒に白い息がもれている。
イギリスの、寒い寒い朝なんですね。

見るものに、小鳥の体温を感じさせることができるなんて!
アッテンボローの生き物へよせる愛情は、
ただ事ではないのでしょう。
でもね、コマドリの映像にもしっかり解説をいれるし
カメラが引くと、求愛するアホウドリの真後ろに座っていたり、
植物の成長をコマ落としで見せる映像まで、
まず、彼の足もとから始まったりするのです。
とても、出たがりーなんです。
そこがまた、おちゃめです。

彼が目指しているのは、
ドキュメンタリーそのもの
私たちの目には、隠されている、生き物の真実を、
映像にしようとしているのです。
だから、皇帝ペンギンや白クマの物語は
本当にすばらしいと思うけど
ドキュメンタリーとは、一本線が違うことを、
頭にいれておきたいと思います。

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