ミヤハラヨウコの日記

 好きな本や物語
 映画のこと
 食べ物のこと
 植物のこと
 思いついたことを
 文章にしてみようと
 思います

 

2009/6/11  CURRY

各家庭にそれぞれの味があって
今更私が書くようなことは
なにもない世界ですが、
ちょっと元気がなくて
「今日はおいしいカレー食べたい」という時は
仕事を終えてから、もうひとふんばり
たっぷり一時間は、がんばらなくてはいけなかった。
せめて半分に短縮したい、ということで。

材料
厚手の鍋1つ、フライパン1つ
バーミックス(or ミキサー)

タマネギ    1と1/2個
ニンジン    1/2本
ジャガイモ   中2個  (新じゃがなら皮付き)
トリ or ブタ肉 200〜250g  *塩、コショウしておく
トマト     1個
お好みで、冷蔵庫の余り野菜  *ハス、おすすめです。
バター     1かけ(or オリーブオイル 大さじ1)
コンソメ    キューブ 1個(顆粒なら小さじ2〜3)
カレールー   5皿分
水       600〜800cc  
乾燥デイル   *お好みで

タマネギ、ニンジン、じゃがいも、薄めにスライス。
鍋にバターをとかし、タマネギをいためる。
しんなりしたら、ニンジン、じゃがいもを加える。
油が全体になじんだら、ここで水、コンソメを加え、やや強火。

あまりものの野菜があれば、どんどんいれます。
セロリなら、タマネギと一緒にいためる時に。
ハス、カボチャなら、煮込むとき。
トマトは、煮込み最後の1、2分のところで投入。

分量によりますが、煮立ってから4〜6分、煮込みます。
火をとめ、蓋しておきます。あとは余熱。

その間に、フライパンで、肉を焼きます。
手間が省けるので、カット済みか、骨付き手羽、選びます。
十分あたためたフライパンに、肉をおいたら、少し火を弱め、
焼き色がつくまで、そのまま! がポイントです。
脂身がついているほうを下にして、フライパンに油はいりません。
もう片面は、短め、両面焼きます。

さて、焼き色がつくまで、鍋にもどって
中身をミキサーにかけます。
私はミキサー持ってないので、バーミックス。
ミキサーよりも、キメが荒いのですが、
よりさっぱり感があると思います。

鍋の野菜がスープ状になったら、肉を加えます。
フライパンに肉の油がでていますので、気になる方は、取り除いて。
次に、カレールーを入れて溶かしてから
コンロに火をつけて、一煮立ち。
この時、水煮のひよこ豆とか、いれるのも、いいいです。
煮立ったら、火を止め、蓋して余熱。

最後に、乾燥デイル。
もちろん、フレッシュハーブが、あれば、そちらで。
ただ、一回に使う量は、限られているし、
長く保存もできないし、
ジェイミー・オリバーみたいに、オーブンの上においても、
私は、うまく乾燥させられないので、
(日本は湿気が多いから?)
乾燥ものは売ってないのかしら?
と、さがしていたら、あった。

マスコットフーズ株式会社 デイルウィード(フリーズドライ)
皿に盛りつけて、パラパラもいいけど、
私は、鍋のスープ全体に混ぜ込むように。
デイルは、すっぱいスープに良くあうし
コーンスープには、パセリのかわりに、
ちょっとアクセント、かわります。

ざっと時間計算
材料をひたすら、スライス、10分弱。
煮て、焼いて、10分強。
残り時間は、洗いものしつつ、蓋して待つ。
正味30分。
ご飯は、とりかかる前に、おいそぎモードでスイッチいれておけば、
炊きあがる頃合い。

カレーはいつも10皿分と、ついつい欲張ってつくっていたのですが、
これはさらっとあっさりめで、できたてがおいしいので
たいてい5皿分でつくります。
注意するのは、じゅがいもの量。
多すぎると、スープが重くなります。
あっさり目のカレーポタージュスープ、てとこでしょうか。
 
のこったら、翌朝、トーストにつけて食べるのも、
油っこくないので、OKです。
朝カレー、増えてるそうですね。

ひとつ、つけたし。
バーミックスは、結婚のお祝いに、いただきました。
一度も壊れることなく、現役です。
魚をミンチにした時は、あとの手入れが大変だけれど、
ズボラな私には、使い勝手がよくて、本当に重宝しています。
いつでも出動できるように、コンロの上の専用棚に、スタンバイ。

逆に、時間がある時は、
ごろんとまるごと野菜のはいったカレー、作ります。
インドでは「毎日カレー」て、以前やっていましたが
あちらのカレーは、これまたいろいろあって、おいしそう!

2009/5/21  Bob Dylan

風にふかれて
天国への扉
ライク ア ローリング ストーン
ギター 一本に、ハーモニカ
彼は “現代の吟遊詩人” て言われる

ロンドン、ロイヤルアルバートホールでの
コンサート、1966年のこと。

前半は、アコースティックギターとハーモニカ
いつものディラン。
後半、エレクトリックギター、ドラムをもちこんで演奏がはじまると
あたらしいディランを受け入れられず
ブーイングをとばすもの
会場をあとにするもの。
反対に新生ディランに熱狂するもの。
たいへんなさわぎ。

会場から「ユダ!」(裏切り者)という罵声がとんだ
I don't believe you... You're Liar!
ディランは、一言いうと、間髪いれずに
「ライク ア ローリング ストーン」を歌いはじめる。

体調が悪く、コンディションばっちりとは言えなかったそうだが
朝、歩きながら聞くディランは、なんていいんだろう。
つまんないことに負けるな! て気持ちになる。

映画「アイム ノット ゼア」
演じる5人は、容姿も雰囲気もまったく違っているのに
そのどれもがボブ・ディラン。
(ケイト・ブランシェットもディラン!!)
一人の人間のなかに、5乃至、それ以上の人格が混在するアーティスト
それがボブ・ディランなんだろう。

映像としての、アプローチはすごくおもしろかったけど、
映画としては、ややまとまりに欠ける感が。
それに、スーパースターを俳優が演じるのは、
ちょっとキツイ。
本物の輝きにはどうしたって、かなわない。

映画「ゼア ウィル ビー ブラッド」を見終わったとき
人間の執着心のものすごさを感じたけど、
その後、おまけの映像で、
石油採掘時代のモノクロ写真を見てしまうと、
映画が、負けてる!? 

「IN TO THE WILD」でも、
最後に一枚、本人のセルフポートレイト。
彼という人の、存在感に負けている。
(しようがない、本物なんだからね)
なんの予備知識も持たないで見たから
それが、実話をもとにしていると、その時まで知らなかった。
なくても良かった?…ていうわけにはいかないね。

「ドアーズ」のジム・モリソンを演じた
ヴァル・キルマーは、たしかに激似といわれたけど
荷が重かったと、私は思う。
逆に、映画「パープルレイン」
等身大の(に近い?)プリンス
これは大成功。

私が、初めて見たプリンスは、
1/8モデルくらいの戦車にまたがって、砲身はちょうど股間に。
なんだか、とってもいかがわしい。
ところが、あの映画を見て以来、彼の歌が好きになった。
戦車の映像ばかり先行して、ちゃんと歌聞いてなかったんだろう。

1985年に、クインシー・ジョーンズがプロデュースした
「We Are The World」
メイキングビデオで、ボブ・ディランのパートを
こうしたほうがボブ・ディランらしい、とか
みんなで歌い方をアドヴァイスしていたのが
ものすごく不思議で、おかしかった。
ディランより、ディランらしく?
でも、それをうけいれるボブ・ディランも、ボブ・ディランだなー。

彼の歌は、たくさんのアーティストに、カバーされている。
彼の詩に、力があるからだと思う。
でもそれらのメッセージが、ある種の人々の牽引力になってしまって
自分がその先鋒に祭り上げられてしまうのが、
ちょっと迷惑なんだと言っている。

吟遊詩人という言葉だけでは
きっとボブ・ディランは定義できないんだろう。
彼について、そんなに詳しくない私にはもちろん、
ぴったりな言葉は浮かばない。

2009/5/6  IKEA

オープンしたての頃は
外国の香りがする!
そこにいるだけで海外旅行中の気分。
気にいっていたのに、
さすがに2年、もう、日本の香りしかしない。
日本のIKEAになったということだね。

カフェテリアでは
「ロッタちゃん」でも子供たちが大好きな
ミートボールを注文して、
たかいスツールに腰掛けるのは、
このところ滅多に外食しなくなった私には
かなりうれしいことだ。

オランダのスキポール空港や
ロンドンの空港で地方便への乗り換えのことなんかを思い出して
その時の空気がかすかに鼻先をかすめる感じがする。

9.11より前だったけど、
ロンドンはテロ警戒中で
荷物預かり所へはいるにも、ボディチェック。
子供はまだ小さくて、だっこひものやっかいになっていた。
警備員は、わたしと子供にも慎重に機械をあてる手つきをして
「ナマものの手荷物」とかなんとかジョークをとばした。

警備員の態度にイヤな感じはしなかったけど、
人間と人間のあいだにも、
爆弾をかくすかもしれない
自爆テロというもののニュースを見るにつけ
笑い事じゃあなかったよ。

それでもやっぱり、旅行に行きたい。
行くとしたら、メキシコがいいな。

華やかな切り紙のかざりが列をなして
空にはためくところを見たい。
マリア様やドクロの、お祭りの行列を見たい。
砂漠のなかの、ピンクの建物を見たい。
映画「レニングラード カウボーイズ ゴー アメリカ」みたいに
中庭のテーブルで、コロナビール飲みたい。
あの気候なら、きっと、水みたいにガブガブのめるだろうな。

ところが、4月24日のニュース
一報は、ラジオ。
いつもラジオをきているせいもあるけど、
同じ日の夕方のTVニュースではまだ、やっていなかった。
(21時以降のニュースではやってたかもしれないね)

「メキシコで豚インフルエンザ流行、68名の死者」
4月末、名前を「インフルエンザA型」と修正したので
こう言わなくちゃいけない。
一度通ってしまうと、定着はむずかしいかも。
その後、他国でも、感染者と死者が確認されている。

世界はほんとに狭くなって
外国のニュースといえど、すぐに自国にかかわってくる。
でも、TVのニュースをみていても
どうなっているのか、よく伝わってこない。
深刻そうな顔のキャスターが
伝えてくるのは、その深刻そうなイメージだけだ。

朝のラジオでは、このインフルエンザに感染すると
症状はどうなるのか?
どれくらい危険なのか?
カナダの医療関係者にインタビューしていた。
SAASのときも、治療にあたっていた人だそうだ。
(ちゃんと名前を覚えとかなきゃダメだわ)

毒性は弱いが、
罹患率(この風邪に感染する割合)50%
死亡率は現在のところかなり低く、
実際死亡しているのは、小さな赤ちゃん、
すでに別の感染症にかかっていて抵抗力の落ちている人、ということ
だった。
だからこそ、メキシコの68名というのが、
数字ばかりでよく分からないのが、気がかりだ。
それに、最初の感染者として
映像が全世界に流出した5歳の男の子の存在が
とっても不思議な感じ。

毎冬流行するソ連風邪や、香港風邪などの、インフルエンザと比べて
罹患率は高めだけど、死亡率はかなり低い。
日本では、風邪で亡くなる人というのは
毎年かなりの数いるから(長寿国だからね)
たくさんの人が予防接種をうけているんだよね。

今回の場合、健康な若い世代は、すぐに「タミフル」などの薬にたよら
ないで、
よく休養して直すのが一番、とその方は言っていた。
大切な薬は必要な人に、必要な時のためにとっておきましょう、と。

ところが日本では、
熱がでたら、すぐ発熱外来へ。インフルエンザA型と判定されたら
早急に「タミフル」か「リレンザ」を処方するのがいい、という方針の
ようだ。

極論に走りがちな日本人には、寝て直すなんて通用しないんだろうか。
タミフルを処方してくれなかった医者のせいで死んだ、さあ裁判。
というニュースが聞こえてこないともかぎらないから?

よく比較されるのが
1918年のスペイン風邪。
この時の罹患率は、30%(全人口の統計があやふやなので
50%という説も)で、
死亡率は、そのうち5%くらい。
実際スペインから、発症したわけではないのに、
この名称なので、名称の変更をしようとしているらしいけど
これもやっぱり一度定着してしまうとね。

最近読んでいる本にも、
その風邪のことがちょっとだけでてくる。
日本での流行は、1918年の秋(最初の流行の2波目とされ
る)と、
1919年の春(3波目)。
1919年のほうが、国内ではおおきな流行だったらしい。
本のなかでは、“少女がかかる風邪”と書かれていた。
健康な大人、男性、の罹患率は低かったからだ。

けれど、日本で、この風邪にかかって死亡した人たちの名前を
記録などでみると、大人の男性ばかり。
有名な所をあげるとそうなったということだろう。
海外の記録写真でよく取り上げられるのは、兵士たちの死者。
私たち、正しく情報受け取っているのかな?

このあいだ電車のなかで、ふと咳がでた。
周りの人が、ビクッ とするのが分かる。
SAASの時のような、ピリピリした感じではないけど
確かに走る、緊張感。

いつか、インフルエンザA型も
普通の風邪のように定着して、ワクチンも開発され
大騒ぎされなくなる時がくるかもしれませんが、
ここ当分はそんなこんなで
メキシコへ行けそうもない。

2009/3/28  のろのろひつじとせかせかひつじ

はずかしい話、詩人、蜂飼耳さんのことは、
それまでなにも知りませんでした。
(今だって、中原中也賞を受賞し、小説も手掛けている
ということぐらいしか、知らないわけですが)

はじめて読ませていただいた時
正直、びっくりしました。
このラストですか!?
余韻がさめきらぬうちに、もう一度、始めにもどって
読みかえします。
なんどもなんども、くりかえし。
自分の中で、なにかを、確かめるように。

挿し絵を描かせていただくときは
文章のあいだにあって、全体のなかに、どう見えるか。
楽しい気持ち、うれしい気持ち
悲しい気持ち、なきたい気持ち
こわい気持ち、不思議な気持ち。
お話を語る、もうひとつの“声”。
そうありたいと、描いています。

たとえば、子どもの頃に読んだ本
「ドリトル先生」
「長くつしたのピッピ」
「いたずらラッコのロッコ」
「おしゃべりなたまごやき」
「ちいさい魔女」
「ホッパーさんのペンギン」
「宝島」
などなど
お話と一緒に、それらの挿し絵が、
なんて鮮やかに頭にやきついていることか。
文章の一言一句は正確に憶えていないのに。
(きっと私と逆の人もいるんだろうな)

子どもの読み物(単行本)は、
そういう意味では、絵本に近いのでしょう。
絵本は、子どもたちによってなんどもなんども、読まれる本です。
お気に入りの絵本はなんどもなんども
大人になってからは、子どもといっしょに。

こんどはこの私が、この羊たちの世界にかたちを与えなければいけない。
なんどもなんども読まれても、
それに答えられる絵でなくては、いけない。

「羊の道をいけ」
は映画「ゼア ウィル ビー ブラッド」で、
石油がわきでる土地へいたる道筋を説明する時、
青年が使った言葉。
アメリカの荒涼な土地に、
石油という、黒いダイアが眠っている。
そこへいたる道は、羊の道。
青年は情報を売る金をあてにして
田舎の家をでて来たものらしい。

そして現地へ訪れてみると、
彼とそっくりの双子の兄(弟?)は、
自分の教会で、新興宗教の教祖みたいなことをしている。
なにげないはずのあの言葉が、
強い印象で残った。
私も行こう「羊の道」。

こういう時は、羊の画像ばかり目につきます。

絵画展にはいると、正面に
家畜小屋の前にいる子どものイエス、と羊の群れ。
こちらを向いた羊と目があう。

テレビを見れば、車のCM。
緑の草原を走る道の両側に、羊たち。

本屋へいけば、
平積みに、羊の写真集。

旅行雑誌を読んでいると
アイルランドの田園風景に、点在する白い羊たち。

世の中にこんなにも「羊」があったかと思うほど。
今まで気がつかなかっただけ(?)にしても、羊がおおすぎる。

羊といういきものは、
人間の家畜となる過程で、
毛が抜け落ちないようになったのだそうだ。
野生に生きていれば、
冬毛は、暖かく。
夏毛は、涼しく。
その風土気候にあわせた毛質にはえかわるのが普通。
人間が、毛をかってあげないと、
羊はずっと毛をのばしたまま。
ずんずんともこもこになっていく。
そんなにも長く深く、人間と関わってきたんだね。

さて、羊たち。
彼らは、どんな姿をしているのか。
私には、少し高くて舌足らずの、のろのろひつじの声、
かすれた感じの、せかせかひつじの声。
始めは双子のようにそっくりで、
色が少しちがうだけの羊を思い浮かべていました。
牧場の羊さんたちを見ても、私達には一頭一頭の区別がつかないものですから。

でも、牧場主には、ちゃんとそれぞれの違いがわかる。
首の長いキリン達だって、干潟のムツゴロウ達だって
同じように見えても、同じではない。
そう考えると、そっくりではない羊たち… 
そうして浮かんだのが、ぽっちゃりとスリムの羊さん。
見た目も正反対。
だって一方はのろのろで、一方はせかせかなんですから。

蜂飼さんの言葉は、ひとつひとつが立体的で
いくばくかの質重を持っています。
が、はっきりした形をもっているか、
というとそうではないのです。

「おいしそうな月」
「あかるさのちがう星」
「青い船」

半月なのか満月なのか? 
キラキラした星なのか、
にじんだような星なのか?
“青い船は、手にのるくらい小さいくて、そのわりに重く、水に浮く”
とは、書いてありますが、
どんな形をしているのか?
なにでできているのか?
帆はあるのか? 
どこにもかいてありません。

私達はお話を読んだり、聞いたりする時、
世界を創造するのです。
それを、形にしなくては。

ぜひ、地図を入れたいと思いました。
地形図とはちがいますが、
羊の住んでいる、世界が見えるものを。
羊たちが歩く道。
野苺の茂み。
森には、小川が流れているかも知れない。
魚のうろこが光ったり、早瀬に虹がかかるかもしれない。
遠くに見えるお城や、街へつづく並木道。
ひつじに深くかかわりのある、人間の暮らしも見える。
もしかしたら、遠くに海も見えるかもしれない。

食いしん坊で、どこか抜けている羊たち。
のんびりと生活を楽しんでいるような、羊たちでありながら、
バリカンがうなじにあたって、毛を刈っていく。
羊であることを、強く意識してしまう瞬間
おそろしいものが、ぽっかりと口をあけて待っている。
すうっと、首に風がはいってくるような
ひんやりした感じが、ずっと付きまとっているのです。
ついとそこにある「死」がひしひしと迫っているのです。

「太陽と月と星」の民話を集めた本に、
羊飼いの話、載っていたのを思い出しました。
神様との約束を守らなかった罰として、
飼っている羊たちが、天にあげられてしまうのです。
羊のようなモコモコの雲が、
押し合いへし合い空を流れていくことがあります。
いにしえの人たちも、あの羊のような雲を見たのですね。
このお話のラストには、なにか見守るような、見定めるような、
ひつじ雲を描こうと思いました。

2009/3/7  LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS

昨年亡くなった、アーサー・C・クラーク
スリランカ国葬という、丁重な対応だった。
SFが過去のものになっても、
彼だけは現代に生き続けていた。
SF作家というより、科学者だったから?

クラークの本は「太陽からの風」がいちばん好き。
教室で、先生が手のひらを太陽にかざし
太陽風の一部をかんじるよと、子供達に教えている。
宇宙空間で吹くその風をとらえて、
月へのヨットレースがはじまるのだ。
ラジオから、実況が聞こえてくる。

短編だけど、その存在感は、どんな長篇にも負けていない。
最後に、無人で太陽系の外へ出て行く船は、
今になってみれば、ボイジャーの事を思い出させる。

つぎつぎに惑星のそばをかすめ飛ぶことで
惑星の重力を利用して、方向転換と、加速をする“フライバイ”。
太陽をめぐる惑星と、ぴったりそこで出会うように、
計算されたボイジャーの打ち上げ。

ひとつの無駄もなく、明晰な軌道。
数学の証明問題が終わって
Q.E.D. と書かれているよう。

ボイジャーは、惑星に近付くたびに
写真をとり、観測データを送信する。
ただしその動力源は、太陽風ではなく、原子力と太陽電池。

現在、太陽系をはなれたボイジャーは
“もっとも遠いところにある人工物”であり続けている。
クラークは、イメージを与えただけかもしれないけど
なんらかの形で、計画に参加していたようだ。

それから、宇宙エレベーター。
実際に、理論を考えたのは、
ロシアの科学者だけど、
それをいち早く、理解して、
「3001」彼の未来世界にとりいれた。

宇宙エレベーターは、
静止軌道上のステーションから
地上へむかってケーブルやチューブをのばして
上下するエレベータをとりつける、というもの。
巨大な打ち上げ花火をあげなくても、
エレベーターに乗って、宇宙へ行ける。
(ほんとですか!!)

宇宙エレベーターにつかうべき素材を、
クラークは、ダイアモンドに求めていた。

「2001」の続編といわれる「2010」
モノリスの力で太陽になった木星は、
ルシファーと名付けられる。
空に、二つの太陽がある世界。

「2031」
衛星、イオにある、巨大な山は
ダイアモンドの塊ではないのか?
ガニメデ観測所の研究者が秘かに思う。

それを確信する材料のひとつは
20世紀半ばの「ネイチャー」誌に載っていた
「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」
とタイトルされた
「巨大ガス惑星の中心核には、ダイアモンドが存在するだろう」
という論文だった。
(タイトルがそのママってことないと思うけど
その論文自体は存在するらしい)

イオにあるのは、
比重の軽いガス惑星である木星が、太陽となるときに
吹き飛ばされたダイアモンドの塊のひとつ、
というのが彼のお話。
その豊富なダイアモンドがあったからこそ
「3001」の未来では、宇宙エレベーターは可能になったというわけだね。

ルシファー(ルーシー)は、ダイアモンドを持って空にいる?

むつかしい話は、もっと専門的な人がすればいいことで、
私は、なんで
「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」
なんだろうと、考えていた。

エチオピアでみつかった、
アウストラロピテスク・アファレンシス。
人類の起原といわれる種。
身長1.1mの女性の骨格は、ルーシーと名づけられた。
発掘現場に、ビートルズのその曲が
流れていたから、というのだけれど
これもまた、なぜ?
「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」

発表当時から、この曲は
いろいろな解釈や憶測がされて
謎をもつと言われているけど
4才のジュリアン・レノンが描いた絵のとうりで
謎なんかひとつもなかったかも知れない。
でもその印象にのこるイメージは、
謎めいて見えたんだろう。

ルーシーは、ブランコを漕ぐ。
空を切り取って行く、放物線。
彼女は空にいて、輝くダイアモンドをもっている。

「I am Sam」
「ACROSS THE UNIVERSE」
ビートルズの曲が主役みたいな映画が、
いまだにつくられるって?
楽曲がもつ魅力だけではない、
牽引力があるんだろう、ビートルズ。

萩尾望都の初期のマンガに
妊娠した未来世界の魔女(?)が、
無性に“古典音楽ビートルズ”をききたくなる
という場面があったっけ。
ビートルズは、モーツァルトみたいに
長くのこっていくんだろうね。

2009/2/10  Greeeeeeeen

冬、日照時間が少なくなるせいで
少々、鬱(ウツ)傾向。
そういう人、意外に多いらしい。

「アナタの毛穴も汚れてます」
と同じで、気がつかなきゃ、たいしたことなかったのに
えっ、そうなの! という気もするし
なあんだ、そうだったの、道理でね。
と軽く受け流すこともできる。

お日さまが、足りない時は、
存分に、日光浴。
でも、このところ思うのは、
緑がたりない。

冬だから、当然、植物もほとんど休眠中。
これも、冬期鬱の一種?
こんなときは、植物園の温室へいくのもいいけど
たいていはがっかりするばかりなので
牧野富太郎について書かれた本を読んでみた。

いわずと知れた、日本植物界の偉人ですが、
ヘンテコなキノコ踊りをするとか
「私は植物の精である」なんて言って世間を騒がせたり、
外伝はいっぱい私達の耳に残っている。
が、どんな偉業をなしとげたのか、
実際のところ、よくわからない。

江戸時代末期、西洋からやってきた大使達は、
おかかえの博物学者を連れていたし
植物ハンターでもあったから
めずらしい日本の植物は、
たくさん収集され本国へ送られていた。

香辛料に、コーヒーやカカオ
南米のじゃがいもや、トウモロコシは、
ヨーロッパの食料事情を、劇的に変えたし
新種の植物には、巨富の可能性があったからだ。

美しく刈り込まれた生け垣
かわり咲きの朝顔や、菊の並ぶ花市
日本の園芸レベルが、たいへん進んだものだと
彼等には、一目で理解できた。

日本の野バラは、バラの品種改良におおきく関係しているし
ユリは絹と並んで、明治以降の重要な輸出品になっていく。

明治の時代が始まって、
日本が、西洋世界に、名乗りをあげたとき、
植物学の世界でも、当然のように、
外国の著明な学者が乗り込んできて、
日本の植物を同定、分類して、
自分達のリストにのせるだけだったところを、
それは、日本人が自分でやるべきことで、
だからそれを私がやるんだ、と言って実行したのが
牧野富太郎なんだね。

本の最後のほうに、
ずっと疑問に思ってたことが、一行のっていました。
南方熊楠は、同時代の人だったはずなのに、
彼の口からは、ちっともその名前がでてこないのは、なんでなんだろう。  
「植物を前にして、植物の事を知ろうとする人は、等しく平等だ」
と言ってはいても、どうやら、熊楠をすきではなかったみたい。

東大の生物学教室で、
他の教授達からの追い落としにあったりして、
いやな思いをしながら49年も、務めあげた牧野富太郎は
やっぱり権威の中枢に居たのだもの。
牧野富太郎のように、頼れる後ろ楯があったら、
南方熊楠にも、もっともっと大きな成果が残せたかもしれないよね。

牧野富太郎と一緒に森で植物採集したら、きっと楽しいだろう。
人を楽しませることが大好きだったから、
シモネタのヘンテコな話なんかして、笑わせてくれるかもしれない。
外国人みたいで、自由奔放で、
なに言ってるかちっともわからないような熊楠と、
山歩きをしたら、あっと言う間に
どこかわからない森の中に、置き去りにされてしまいそうだ。

子どもの頃は、ちょっと歩けば、
森もあったし、野っぱらもあった。
庭や畑では、出会わない、変な植物や、虫を見かけた。
けもの道を歩くこともあったし、
倒木を踏み越えて歩く、こともあった。
天井をおおう、木々の緑
足もとをうめる、地上の緑
指まで染まりそうな、つゆにぬれた緑。
和歌山の森は、もっともっと深い深い森なんだろう。

2009/1/25  世界の料理ショー

料理をショーにしたのは、
きっと、グラハム・カー。
「世界の料理ショー」
(The Galloping Gourmet)
アメリカのテレビ番組と思いこんでいたら、カナダ制作。
日本では、70年代の始め
毎週土曜日のお昼すぎにやっていた。

もちろん、タイトルに、ショーという文字をいれたのは、
日本人だけど、制作側も、バラエティを意識していたのは
確かだと思う。
それまで見ていた、お料理番組とは
明らかに違っていた。

ワインをぐびぐびやりながら、おしゃべりもべらべら。
なのに、とってもおいしそう。
たいていは、海外旅行中に、インスパイアされた料理を
自分流にアレンジして紹介していた。
今の時代からすると、かなりこってり。

料理ができあがると、客席のひとりをよんで
一緒に料理を食べるのが、お約束。
あの席に座りたかった。

ジュイミー・オリバーの
ハンディカメラがぐわんぐわんしてる番組
目がなれるのに、ちょっと時間かかりますが、
楽しそうで、おいしそうで、簡単そう。
…に見えますが、実際やってみると、
あのさりげない盛り付けは真似できません。

「料理の鉄人」ていうのも、ありました。
ふんだんにお金をかけて、すばらしい食材を、すばらしい料理人に。
そういう世界があってもいいと思うけど、
バブルの申し子みたいな感じがして、
美食って言葉が、空々しく、感じるばかりです。

まがってたって、小粒だっていいから、
安全で、新鮮な旬の食材を、さっと料理して食べる、
それが、おいいしい。それがあたりまえ。
で、あってほしい。

ところで、男性の料理研究家、といわれる人たち、近頃、多いですね。
シェフはもともと、男性ばかりですが。
“二世”率も高いです。おネエのひとばっかりじゃありません。
肝心の、お料理については、
いかに簡単に、短時間で、おいしくできるかが、重点です。

ふと、気になったのが、
ケンタロウ。
カメラマンからの転身だそうで、
母は、言わずと知れた、小林カツ代。

その前に、少々、話はかわりますが、
私「とくい料理は?」と聞かれると
たいしたものが、できるわけでもないので、
「お粥」と答えます。
水から炊きます。
粥になにか加えるとしたら、
鶏肉が、多いです。
栄養もあって、消化もいい。

たいていのお料理本では、
ダシのでる、鶏肉は始めの方にお鍋にいれます。
でも、鶏肉の特徴として
ダシがでた後の肉には、パサつき感があるのです。
1時間くらい煮込むものなら、
柔らかくなって、それもいいのですが。
日常のお料理は、そんな時間をかけていられません。

と、ここで週末の料理番組。
ケンタロウが、
お粥つくっていました。
彼は、ダシは、市販のトリのだしをつかって、
鶏肉をいれるのは、した味をつけておいたのを
粥がほとんど煮えてからの、最後の最後に。
そうすると、鶏肉はぷっくりと柔らかく、
味も抜けていない。
やるじゃないか。

香港の厨房で
水餃子の皮のつつみ方を、教えてもらってる時も
ぱっと目に不器用そうな、あの指で、
美しくつつむではありませんか。
ただのくいしんぼうと思っていたら、
すっかりあの外見にだまされましたよ。

忙しい現代の料理は、
なにも、速い、安い、ばかりではない。
「くいしんぼう」だから、思い付いた一手。
お母さんのカツ代さんは、おいしい料理を、
かれの為にたくさんつくってくれたのでしょうね。

つけたしですが、
「地球街道」という番組で
井上順がグラハム・カーに、会いにいっていた。
大柄な体格はそのままでしたが、すっかりじいさん。
バターたっぷりのお料理はもうやめて
高血圧で苦しんでいる、奥さんのために
今は、ヘルシーな料理を作っている。

2009/1/11  非現実の王国

パソコンが普及し始めのころは
ペーパーレス社会がやって来るといわれていた。
別なアプローチの「華氏451」みたいに、
紙製本を持っていると、捕まるような未来になったりして
勝手な妄想が走り回っていましたが、
紙の使用は無くならないどころか、減ってさえいないのでは?
本離れ、電子化がすすんでいると言われるけど
本が無くなってはいない。

本があって良かった。
耳で聞くお話も、それはそれで捨てがたいけれど
手触りと目も楽しませるこの造型。
書物は昔、ほんの一部の人にだけ許された贅沢な楽しみ。

印刷技術が普及するまで、本はすべてが手作り
同じものをほしいと思ったら、
手で書き写すしかない。
世界に一冊しか存在しない書物、
それも珍しいことではなかったろうし
オリジナルが消失して、複製のみ残るということも。
複製から複製を重ねた結果
原形をとどめていない、ことだってあっただろう。
それは、お話として語られる昔話にも、
よくあったことだ。

映画「薔薇の名前」
原作にはなかったけれど
貴重な書物が失われてしまうことを知った修道士
(ショーン・コネリー)は
炎に焼かれる書庫の中で、泪をながした。
この書庫の重要さが、彼には充分すぎるくらい分っていたんだろう。

いくつかの宗派の修道士たちが
意見を戦わせる場面では、
「イエスは笑わなかった」
「いや、笑わなかったとはどこにも書かれていない」
その時は、ぼんやりと聞きながしてしまったけれど
「死海文書」が再発見された時
(今から4年ほど前だろか)
そこには、「マルコの書」や「ヨハネの書」と同じように
「ユダの書」があり
(ローマ教会では採用しなかったというだけ)
イエスキリストが良く笑っていたという記述があった。

ウンベルト・エーコは「死海文書」を知っていたのかな?
本職はちゃんとした学者なわけで、知っていても
あるいはそれに言及した本を読んでいたとしても、不思議はないね。

「ヴォイニッチ写本」という古書がある。
説教壇に立ち、なにかの装置でもく浴する、裸のニンフ達
宇宙世界を描いたかのような、噴出する星々
彩色された植物図
ところが、文章を読もうとすると、たちまち拒絶にあう。
見た事のない文字、良く見ればありえない植物の姿。
ウィリアム・ベーコンが暗号で書いたのではないか、などというふれこみで
ヴォイニッチという人物によって世間に紹介された書物は
その出自からしてうさん臭げ。

この写本に感心を持つ人はたくさんいるらしいが
捏造である可能性もふくめ、なにも実証はされていないし、
納得のいく説明はついていない。
(インターネット上で、研究成果を発表しているので
興味のある方は、見つけてみてください。日本の方もいます)

初めてその写本を知ったとき
ヘンリー・ダーガーを思い出した。
なにか、とても「個人的」なものを感じたのだ。

ヘンリー・ダーガー
「非現実の王国で」
それは彼だけのために描かれた、挿し絵付きの、長い長い物語。
ヴィヴィアンガールズという、両性具有の少女の姿をした戦士達。
彼はアウトサイダー・アートのひとつにあげられることがおおいけれど
それはまったく違うと思う。
彼の絵を一目見れば、
これは特別なものだと分るはず。

ヘンリー・ダーガーについて書かれた本は、ほとんどなくて
原美術館でヘンリー・ダーガーの個展が行われた時の
「美術手帳」の特集が詳しかった。
彼のドキュメンタリーがDVD化されているので、
そちらがお薦め。
集めた雑誌や、拾ったものであふれた、彼の部屋が興味深い。
部屋にはベットがなく、彼は椅子で眠っていたのだろうか。
彼の部屋は、そのまま彼の王国で、彼は王国の王であり奴隷だった
ほとんど寝る暇もなく、描いていたのだろうと。
(睡眠時間があまり必要でない人だったのかもしれないね)

幼い頃、母を亡くし、乳飲み子の妹は養子にだされた。
仕立て屋の父と暮らしていた彼は、貧しかったけれど
学校へあがるまえから、新聞を読むことができた。
教師をやりこめるような利発さと
度をこした反抗的な態度は、彼を教室から遠ざける方向へ。
父からも離され、充分な教育を受ける事もなく、
精神障害者を収容する、少年施設へ送られた。
彼が施設にいる間に父は亡くなった。

17才で施設を逃げ出した彼は、
父と暮らしていたシカゴへ向かう、百数十キロの徒歩の旅。
シカゴで、病院の清掃員などをして定年まで、働いた。
軍隊へも徴収されたが、戦場へでることはなかった。
その間、周囲から理解される事もなく
そして誰にも知られることなく、
自分だけの王国建設に着手した。
「非現実の王国」と彼はよんでいた。

ドキュメンタリーの中で、彼を知る人が言っている。
彼は、人づきあいが下手で、少し変わっていただけ、
金持ちなら「変人」、貧乏なら「狂人」とよばれるのだと。
彼は、貧しい狂人として、一生を終えようとしていた。
アパートの管理人や隣人達のすすめで、
老人施設に移ることになった。

彼の作品が見い出されたのは、
彼が部屋を出たあと。

「部屋の作品を見たよ」と管理人が言うと
少し恥ずかしそうにしたあと、
「もうおそいよ」と言ったそうだ。
彼は、自分が何を作っていたか、ちゃんと分っていたのだろう。

全生涯をかけて作り上げた、王国。
その一番楽しい部分は、
この先も誰にも理解されることは
ないのだ、と彼は書いている。
 
「ヴォイニッチ写本」が本物でも捏造でも、
それはかまわない。
本がこうでなければならない(好みの問題は別にして)
なんて誰に言えるだろう。
そこに書かれていることは、真実ばかりではない
ウソや虚構、非現実。
だからこそ、読むべき価値があって、
楽しむ価値があるんじゃないかな。

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