ミヤハラヨウコの日記

2008/12/16 北斗七星

北斗七星は、オリオン座などとならんで
よく知られた星座。

ギリシャ神話では、小熊座の周りを
永遠にまわりつづける母熊。
お供の犬をつれた荷車、水汲み用の柄杓
などの形で民話に登場する。

日本では「北斗」
つまり、北天にある柄杓と呼ばれている。
柄杓のお話の原形は、ロシアの昔話らしいけど
いかにも中国にありそうな気がする。

日照りのつづいた年、
女の子が、病気のお母さんのために
遠い遠い山へ出かけて行って、水を汲む。

ところが、帰る途中で、行き倒れの人や、犬にあい
せっかく汲んだ水を与えてしまうので、
何度も、引き返して水を汲む。
おしまいに、お母さんにお水を飲ませてあげられたかどうか
私の記憶は定かではないんですが、
途中でころんで、水をこぼしてしまう結末のような気がする。
ころんだひょうしに、柄杓から7つの星が飛び出して
天にのぼって北斗七星になった
というお話じゃなかったかな。

先日、読んだ本には
無事に、家の前についたところで、
7つの星が飛び出した。
それは、女の子の行いを、天の神様が目にとめたから。
ほかの人や犬に、お水を飲ませてあげた回数と同じだけ。7つの星。
これなら、きっとおかあさんに、お水を飲ませてあげられただろう。
女の子の努力も、やさしさも報われて、メデタシ メデタシ…

なんですが、このお話が、私の記憶に残った理由は
あの不本意な結末なんです。
せっかく、何度も引き返して、ここまで運んで来たお水を、
あと一歩のところでこぼしてしまう、
とても子供にありがちな話が、
くやしいというか、歯がゆいというか。
こぼした水が、天のお星様になったのなら、
しようがない。
そうして、がっくりとうなだれて、座り込んだら
きっともう水を汲みに行く、気力は湧いてこないだろう。

そこで、子供の私は想像する。
女の子をもう一回、水汲みに向かわせるために、
あるだけの力をふりしぼって、柄杓をつかみ立ち上がる。
このままでは、終わらせない。
想像力で昔話を変えてしまうんだ。
と、大それたことを、考えていたのかも。

水のなかの星
それは、昼間に見るものらしい。
深い井戸の底に星の光が見える。
そういう井戸は、すごく深い。
残念ながら、実際に見たことがない。
水と星は、一続き、そして音にも似ている気がする。

星ではないけど、宇宙の放射線を観測する
岐阜のスーパーカミオカンデ。
鉱山の跡地を利用して作られた。
タンク内に超純水をためて観測する。
会社勤めの頃、取材に行く話が持ち上がったのに、
ぽしゃったのがすごく残念。
見たかった。

「いたずらラッコのロッコ」では、
天の大男が、柄杓(北斗七星)で海水ごとカニを汲んで、
スープにして飲む、という話だった。
夜遊びしていて、いっしょに煮込まれそうになったロッコは、
柄杓のそこの星をひっぺがして
穴を開けて逃げたので、
夜空の星がひとつへっちゃったんだよね。
だからロッコは星のかけらを一つ持っている。
ヒトデみたいだけど、これはぜったい星のかけら。
きっと、だぶだぶしたポケットに隠しているんだろう。
かわいらしくて自由で楽しいお話。

北斗にまつわる名前で、思い出すのは
明治時代、廃藩置県の行われるまえ、
青森あたりに斗南(となみ)ていう藩があった。
北斗七星の南にあるからという、由来だった。
そこは、徳川方として戦った、会津藩士が追いやられた場所。
寒冷で不毛、過酷な土地だったため
冬を越せずに、死んで行くもの、離藩するもの。
農業で成功する事は難しかったけれど
いい名前だなと思う。
星になぞらえるところに
そこに移住して行く人たちの心を、ふるいたたせるような希望と
決して忘れる事のできない哀しさを感じます。

ところで「北斗の拳」はなんで北斗なのかな?
小林拳法みたいに、武器として柄杓をつかう、はずはないよね。

2008/12/2 END OF THE GAME

ピーター・ビアードの写真集
「END OF THE GAME」
とんでもないことに気がつきました。
写真集のプロローグに載っているのは、
なんとディネーセン秘蔵の写真です。

「アフリカの日々」が出版される時、
作者であるディネーセンは写真の掲載を強く拒みました。
これは厳密な歴史ではなく
彼女の目をとおして描かれた
ひとつのアフリカのストーリーなのだから
写真は必要ないと言うわけです。
また後年、ディネーセンの自伝が書かれたときには、
執筆者に対し、農園跡の屋敷を見にいくことすら禁じた。

ところが、この写真集には、
農園の屋敷を筆頭に
キクユ族の祭
族長のキナンジュイ
トルコ風のチョッキを着た、召し使い頭のファラ
料理に非凡な才能を示したカマンテ
プリンセスといわれた、アンテロープ(鹿の一種)のルル
惜し気もなく、載っているのです。
そんなこと、あっていいのでしょうか?

正直にいいますと、
想像よりもっとずっとかっこいいです
まいりました。

キナンジュイは、でっぷり太った酋長のイメージでしたが
きりりとした頬が、とても威厳に満ちています。
ファラは、抜け目のない切れ者という印象でしたが
たいへんやさしげな瞳をしています。
デニス・フィンチ・ハットンは、確かにハンサム
でも、ちょっと甘すぎですかね。

アンテロープのルルは、
この野生そのものの生き物が、家の中を歩き回る?!
日常のなかでは、神聖、というものに出会う機会はなかなかありませんが、
野生生物のなかには、それがあると思います。
珍獣といわれる「オカピ」
希少だからというより、その物腰から
なにか神々しいものを感じます。
そういうものを前にしたら
かしづいて奉仕するほかに方法があるでしょうか。

この写真集をつくるきっかけになったのは、
ピーター・ビアードが、
「アフリカの日々」にたいへん感銘を受けて、
デンマークにいるディネーセンをたずねて行くところから始まります。
1961年、23歳のピーター・ビアード
70代、最晩年のディネーセン。

はじめ、ドアの向こう側から、ビアードの様子を観察しているのを感じたそうです。
どんな人がきたのか、不審だったのでしょうね。
でも、結局はドアをあけて、彼を家にいれ、話を聞いたのです。
そして、最後には(アフリカ世界が)
「永遠の過去となってしまう前に」
ぜひ写真集をだすようにすすめたのです。
彼女は翌年、亡くなっていますから、
写真集の完成を見る事ができたかどうか、わかりません。

もういいだろう、と思ったのかな。
いつか、私もいなくなるのだから、写真くらい残していっても。
写真集の中に、いくつか彼女の文章が載っていますから、
丹念に読めば、その真意が書かれている箇所がみつかるかも知れません。
でも、英語は得意ではないし、切り抜きすら読まない私に、
当分それは無理かもしれません。

ピーター・ビアードの若い頃の写真をみれば、なるほどねぇ。
別な意味でうなずいてしまいます。 
まるで、ブルース・ウェーバーの写真から抜け出して来たような男前。
(写真を選んであるとはいえ、これはずるい)
若くてハンサムで率直な青年が、遠い国からたずねて来て
「あなたの本を読んで感動しました」
なんて言ったら?

それはあったかどうか分りませんが
これは、アフリカで農園をもっていたころ
ディネーセンが、日々行っていた事ではなかったか。
小作人のキクユ族の間に起こる、さまざまなもめ事は
農園の女主人である彼女が、解決しなければならなかった。
そして遠方からの客に対しては、最上のもてなしを約束していた。
彼女の農園の牛たち、
日曜ごとに休みを与えられる牛たちを
彼女は誇らしくながめたのではなかったか。
それが彼女のやり方だったから。

最終的には、農園の経営に失敗したディネーセン、
破産者として、社会からも、
アフリカからも、永遠に押し出された
自分がアフリカから出ていかねばならないとは、
最後まで信じられなかった。
「私がアフリカを去るのではない、
アフリカが私の前から、姿を消したのだ」
これは私の想像ですが、
なぜ、アフリカが(人も風土も)好きかときかれたら
「美しいから」と答える気がする。

アラビアのロレンスといわれた
トーマス・エドワード・ロレンスが、
なぜ砂漠にこだわるのかと聞かれて
「清潔だから」と答えたように。

「アフリカの日々」には載ることのなかった写真を見つけて
思わず、興奮してしまいましたが
ディネーセンに詳しい方なら、
あるいは、ピーター・ビアードに詳しい方なら、
これは、秘密でも、なんでもない
周知の事実かもしれませんね。

2008/11/25 SANTIAGO

映画「サンジャックへの道」
貸ビデオ屋の棚にならんでいた。

サンジャックの道とは、
シャルルマーニュ(カール大帝)がサラセン人を討伐する際、
聖人ジャックが先導した道

というような一行があったのを思い出し、もっと知りたいと思った。
太陽と月と星の伝説を集めた本の、エピソードのひとつだから
星をたよりに案内したのだろうか
真夜中に、進軍したのかな。

検索したら、あの映画の他は、
サンチャゴへ至るスペイン巡礼の紹介ばかりで
こんな話はひとつもヒットしない。
(スペインの都市サンチャゴ=
フランス読みにするとサンジャック)

しかたなく、図書館でさがすという、
むかしながらの手法。
書籍の波をかき分けていくしかない。
(こういうのは、なにサーフィンて言うの?
言わない?
ただの読書ですね)
日本の図書館には、文中の語彙で検索できるシステムは
導入されていないのかな?
「ダ ヴィンチ コード」で主役の大学教授が
これは便利! と使っていた、あれです。

日本の図書館も、データベース化すすんではいます。
タイトルまわりに含まれていれば、検索対象です。
でも正確でないとなかなかヒットしません。
私のように、忘れっぽいうえに、
ものの名前をちゃんと覚えない人には、
もどかしい限りです。
「ほら、あの映画にでてたあの人」なんてのは通用しません。

一度、上野のこども図書館でそんな事があって、
その時は、司書のおねえさん二人を巻き込んで、
無事みつかりました。
人間のあいまいな網には、いろんなものが
ひっかかるようになっているのですね。
それはそれで、楽しいと思うのですが。

図書館の検索システムは
一部インターネットの情報と連動できたら、いいんじゃないかな。
(うん?ていうのも、ありますけどね)
本の画像も見たい人には見れるようになってるといい。
装丁や表紙も、気になるところです。
持ち歩いて読む私には「gグラム表示」も。

先日、図書館にいったら、
利用状況と、使い勝手について、アンケートしていました。
図書館、ヤル気ですかね。
高い天井で緑色のデスクスタンドがならんでるような
由緒ある図書館がいいなーなんて思ってる私には
あまり関係してこないと思いますが。

インターネットの検索も画像で、できたらいいのにと思う。
文字を入力して画像で検索、じゃなくて
画像を入力して、それについて情報を引き出したい。
つまり「こんな形のものは、いったい何?」て聞きたいわけです。
名前も用途もわからないので、ぜひ知りたい物があるのです。
それはまだ、無理?

さて、サンジャック
伝承ではないと、書いてあったような気もするから、
なにかの物語か、舞台なのかもしれない、オペラとか。

まあ、時間は、区切られていないので、
ピピンから始めようか。
ピピンはシャルルマーニュのもうひとつの名前です。

そうそう、80年代「ピピン」ていうミュージカルがありました。
胸に「中」って文字のかかれたスーツ姿の
TVシリーズ「アメリカン ヒーロー」を
やっていた俳優が主役を務めていました。
(ウィリアム・カットですね)
金髪のアフロヘアが、チャーミングでした。

ピピンといえば「指輪物語」
もちろん、作者トールキンは本物の学者だったから、
シャルルマーニュが頭にあっての事。
ピピン2世は、「短躯王」という名でも呼ばれているから、
きっと背の低い人だったのですね。
お話が繰り広げられる「中つ国」には
シャルルマーニュの時代の都市や国を連想させる名前が
あちらこちらに、つけられています。

というぐあいに、本の調べものは
めちゃくちゃ寄り道してしまうのが、
よくあるパターンです。
引越や部屋の片づけでも、ありがちですね。

2008/11/18 TEA TIME

寒さが身にしみる季節がやってきました。
身体が冷えやすい私は、朝にチャイ。
(生姜入りミルクティー)
茶葉は、べつに奮発しなくてよいので
この冬用にと、日東紅茶を買ってみた。

チャイの入れ方
鍋にお湯を沸かし(100cc すぐ沸きます)茶葉投入
それから、生姜のすりおろし、水と同量くらいの牛乳。
(牛乳好きなら、全部牛乳で)
沸きあがらないうちに火を止めます。
茶漉しでこして、お砂糖をいれていただきます。

インスタントも売っていますが、
私にはちょっと甘過ぎるし、なんといっても、
牛乳はお鍋で沸かした方がおいしいと感じます。

さてその前に、紅茶の味を確認。
紅茶だけ普通にいれて飲んでみました。
変わってない!
昔飲んだ味、そのまんま。

母がいれてくれた紅茶の味、思い出しました。
ローズピンクの天板に、白い紅茶ポット。
ポットに茶葉と沸かしたてのお湯をいれたら、3分。
タイマーも砂時計もなかったので、
腕時計で時間を計っていたような気がする。

たしか7歳くらいのことだから、
本当にその時の味かどうかは、あやしいけど
(あとからの刷り込みってこともありますからね)
日東紅茶の味は、日東紅茶の味
不思議にまったく変わっていません。
どうして変わらないんだろう?
味をキープし続けるって事が、スゴイ!

飲み物と言えば、以前、
たっぷりサイズのマグカップを机に置いて仕事をしていたら、
筆洗と間違ってカップに筆をいれてしまいました。
絶対、右側におかないことだけは、学習しました。

本当に一息入れたい時は、
小さい器に、ていねいにお茶をいれて飲むのがいいです。
お茶をいれる、ただそれしかしない。
お湯が沸いたら、
飲む器にお湯をいれて一度さます。
正しいのは知らないけど、
私はゆっくり30数えて待ちます。

器もあたたまるし、水量も適量になるから、て話ですが、
茶葉が開くのをまってるあいだに器はさめますし、
茶葉が水をすうので、お湯はほんのちょっと多めに入れ、
急須にさめたお湯をうつしたら、また器にお湯をはります。
なにしろ1分半〜3分(お好みで)しっかり待つのですから。
私の場合、ぜったい忘れるので、タイマーは必須。
でもそうしていれたお茶は、たしかに柔らかく甘味があって
おいしいです。
全行程10分もかかりません。
10分間、休む気持ちで考えたら、妥当です。

近所なのですが、歩いたことのない界隈を散歩してた時、
中国茶の喫茶店を見つけてはいった。
一番奥のカウンターで、
店主がお客さんに、お茶を出している。
ちいさな器に茶菓をいれているのが目にとまった。
その器がいい!

聞くと、以前はお茶を出すのに使ってたけど、
割れたり欠けたりして、もう4つしかないので、
今は、お菓子を出すのに使ってるって言う。
源氏香みたいなマークに、ハート型の葉っぱ(葵?)がちらちら。
底は厚みがありそうなのに、口は薄く仕上げてある。

店主は、線の細い中国系の青年で、
売りものでないからと、やんわり断られた。
不粋な私は、なんとかお願いして譲ってもらった。
もしかしたら、お気にいりだったのかもしれません。
高価なものではないですが
ちょこちょこお茶をつぎながら、
おしゃべりしするのに、ちょうどいい
ひかえめな華やかさと、かわいらしさがあります。

そんなことを言っていても、実態は
日本茶をいれようと
沸いたお湯を器にいれ、さましてる時、
あるいはさましたお湯を、急須にいれ
まってる間に電話がきたり、
仕事机の方を見てしまったりすると
もういけません。
お茶のことはすっかり、飛んでしまいます。
ふと気がつけば、さめきったお湯、
出し過ぎて濁ったお茶。
がっかりするので、
最近は飲みたい時に、白湯。
(さゆ パイタンスープではありません)

白湯って書くと、聞こえはいいけど、
ただの沸かしたお湯。
でも、あったまるし、これがなかなかいいのです。
いろりや火鉢に掛けた鉄瓶に
はいってる白湯なら、さぞ、おいしいでしょうね。
「剣客商売」の秋山小兵衛さんも、よく白湯のんでました。

2008/11/3 CRAZY

アカデミー作品賞など4つの賞を受賞した
「ノーカントリー」
クレイジーな殺し屋が無気味です。

しかし、さらに上をいくクレイジー
「メルキアデス エストラーダの 3度の埋葬」
長いタイトル、一度では、覚えられません。
ノーカントリーで、保安官を演じていた
トミー・リー・ジョーンズが、追われる側を演じています。

ジョーンズ氏、コーヒーの宣伝で
「はっぱ」という
妙に高い声が印象的ですよね。
私、男子の高音は、日本文化の基本と思っています。
「きやり」とか相撲の「呼び出し」とか
耳にキーンとくると同時に
背筋を引っぱりあげられる感じがします。
(でも、普段聞くなら低音がいいかな)
それは、さておき

初老のカウボーイ(ボーイなの?)
ピート(トミー・リー・ジョーンズ)の働く牧場に
職を求め、国境をこえてやってきた
メキシコ人、エストラーダ。

なにもかも、持っているようなアメリカで、
家庭も自分の牧場も持たずにここまできてしまったピート
なにか虚無的なピートの心にしみ込んで行く
純牧なエストラーダ。

最愛の妻、故郷の村
エストラーダの話を聞く内、
もし、ここで死ぬようなことがあったら、
かならず故郷へ埋葬すると、約束するピート。

そして、エストラーダは死んだ。

射殺され、浅く埋められていたのを
(一度目の埋葬)
コヨーテが掘り返し、狩人に発見された。

犯人は意外なところから、若い国境警備員マイクとわかる
冗談みたいに、運がわるかったとしか思えない、死の真相。
マイクを拉致し、墓の死体(エストラーダ二度目の埋葬)
を掘り起こさせる。
故郷に埋葬すると、約束したから。

カウボーイ、手錠でつながれた若い国境警備員、死体。
保安官に追われながらの
メキシコへの越境。

途中で出会う人々がまた、いい。
目の見えない一人暮らしの老人。
まったくスペイン語を解さないけれど、
聞いているラジオは、メキシコ放送。
なにか、異様なものを運んでいる、ちぐはぐな二人の男に、
スープをご馳走する。
分っているような、いないような
別にどうでもいいような、
変な間、が会話に挟み込まれて、すごくおかしい。

道ばたで火を囲む、ぶっそうな感じの男達は、
友達にするように、気安くテキーラをすすめ、
事情はなにも聞かないのに、
しとめた鹿の肉を分けてくれた。

ピートから、何度も逃亡を試みる、マイクは
身も心も、ボロボロになっていく。
ピートは超人的なタフさで、男を追い詰め逃がさない。
クレイジー、としかいいようがないカウボーイ。

ブーツをなくし、毒ヘビに噛まれたマイクの
命を救ってくれたのは、皮肉な事に、
マイクが、かつて取り締まっていた越境者たち。
あきらめの境地か、さとりをひらいたのか
メキシコ人たちの輪にはいって、みんなで
トウモロコシの皮をむく。

メキシコのほとんど屋外のような飲み屋から
ピートが、アメリカにいるガールフレンドに
電話をするシーンがとても好き。
「こっちに来ないか?」
調律のあっていないピアノ。
暗いような明るいような空に
クリスマスみたいな電飾がちかちか。
彼女はもちろんイエスとは言わない。

だんだんと目的地は近づいているのに、
ちょっと様子か違っている。
エストラーダを知る人もいない。
ようやく探し当てた妻は、
彼のことを全く知らないと言う。
当惑するカウボーイ。

はたして3度目の埋葬は?

偶然から殺された男
その罪をつぐなわされる男
身ひとつで遠くまできた男が知った事
やりきれない出来事が終わってみると
とても軽い着地感、
ロバにのって去って行く老カウボーイの背中と
暖かい人たちの記憶ばかりが心にのこります。
興味があればぜひ見てくださいね。

2008/10/24 スクラップ

雑誌はかさばるので、気に入ったページはスクラップ。

10代の頃の、HITACHIの広告とってあります。
「ベストヒットUSA」の時間にCM流してました。
アメリカのケーキアーティストが造っているのは
ライオン顔のケーキ。
油絵用のコテを使って、クリームを形づくっていくのです。
オレンジ色のたてがみがなびいています。
色づかいハデハデ。
これ、もちろん食べるのですよ。
いいなー。
(青いクリームとか、ま緑のマジパンとか
日本ではちょっと敬遠されますけどね)

その話じゃなくて、スクラップ。
写真ばかりに気をとられてて、
記事に目をとおしていないこと、よくあります。
しかも、きちんと分類、整理していないので、
切り抜くそばから、紛失することも。
(良くなくすので、ページごとにしたら、減りました)
特に気にいってるものは、
忘れないうちに、紙挟みに。

そんなスクラップ帳をみていたら、
ふと、文章に目がとまった。
写真家ピーター・ビアードの対談。
記事を最初から、読んでみた。
(以前読んだ記憶は全くないが、
すっかり忘れてるだけかも知れません)

ピーター・ビアード
「THE END OF THE GAME」という有名な写真集。
かつて、アフリカで行われた、
白人のハンティングの記憶をたどるような写真集。
収集した古い写真と、自分の写真。
どれがどっちって分らないけど、
私はゾウの写真が好き。

アフリカは爆発的に豊かな命に溢れていたんだね。
それ全部をハンティングで消滅させたって話じゃないけど。
アメリカでも似たような事やっています。
アメリカバイソンは一時、絶滅したって言われていました。

もちろん、私はその写真集を見たくてスクラップしていたのですが
それを、主人が持ってるって事も、知らなかったなあ。
世の中知らない事だらけです。
おかげさまで、10年のブランクをもって
出会う事ができました。
(見たい、会いたいという)
気持ちを忘れずに持ち続けるのも、大切ですね。

ピーター・ビアードが、好きな作家として
アイザック・ディネーセンをあげている。
(男性名だけど、女性作家)
著作として紹介しているのは
「バベットの晩餐会」と
「Out of AFRIKA(アフリカの日々)」

同じ人が書いたって、知らなかった!

「バベットの晩餐会」は、
原作があるって事すら知らなかったので
早速、図書館で探したら、貸し出し中。
映画の公開にあわせて出版された本があったので、借りてみた。

とても読みづらい。
全ページ、文章の周りをフチ取るように、イラストが入ってる。
後半の映画の映像や資料は、まあ許すとしても
これはいかん。
がっかり。
古いのを借り直そう。

「Out of AFRIKA」(邦題 愛と追憶の日々)
映画では、メリル・ストリープが
ロバート・レッドフォードにシャンプーしてもらうシーンが
とても気持ちよさそうでした。
原作はそんな甘いお話でなく、
アフリカで農場を経営する、デンマーク人女性のお話。
ほとんど自叙伝、といわれています。

2008/10/10 ZINGARO

10年と少し前、
イラストの仕事始めたばかりのころ
乗馬雑誌に、連載エッセイの挿し絵を描かせていただいた。
そこに、「ジンガロ」の記事。

ヴェルサイユ宮の馬術アカデミー、校長であるバルタバスが、
主催する「騎馬オペラ ジンガロ」。

たしか、自分の馬の名前ではなかったかしら。
むちゃくちゃかっこいい、大きな黒い馬。
「流浪の民」という意味だそう。
彼の風貌からしても、
ノマドの家系なのだろうか
彼の素性は、はっきり書かれていない。
(フランスの男の子の夢の一つに、
ノマドになって旅がしたいって
はいっているのを目にしたことがある
きっと、詩人のランボオみたいにね)

記事には、毎週末テントで
馬と人間の劇を上演している、と書いてあった。
見たい、見たい
でも、フランスでしかやってない
と思っていたら、
ついに3年前、日本での公演が決定した。
それは行くしかありません。

木場公園の特設会場には
(別に「騎馬」とかけたわけじゃないと思いますが)
エルメスのショップ、
レセプションのメニューには、シャンペン。
そうそう、バルタバスが注文した、エルメスの鞍が、
飾ってあった。
ラフな格好の人、ドレスアップした人、観客はバラバラ。

会場にはいると(お!?)これは、馬糞のにおい
だって、馬にはもれなくついて来るんだから。
もちろん、すぐにかたずけられるけどね。

2005年の演目は「ルンタ」
チベット僧の読経をバックに
走り回る馬に、飛び乗ったり、立ちのりしたり、
始めは、曲芸かと思いきや、
むずかしいゆっくりのギャロップ。後ろ歩き。
人をのせたまま体勢を低く低くして、
地面に銅をつける。
隊列を組んだまま、交差したり、並列に歩いたり。
伝統的な馬術を披露する舞台でもあるが、
なによりそこには「生と死」をめぐる物語がある。

物語のクライマックスで
白いガチョウの群れがでてきて、
いっせいに鳴き始めると、
旅への憧れがかきたてられ、
心は鳥になって、遠いところを懐かしく思いうかべる。

ヨーロッパには、流浪の民が、昔むかしからいます。
ノマド、ロマ、ジプシーいろいろ呼び名があります。
街から街、国境を越えて渡り歩き、
妖しげな芸をみせたり占をしたり。
お祝の席によばれて、音楽と踊りで会場を賑やかすこともありますが、
差別されることもしばしば。

「耳にのこるは君の歌声」でも、
オペラの舞台にのせる馬を世話するノマドが出ていました。
(ジョニー・デップでした)

来年ジンガロがまたやってきます。
今度の演目は遊牧民をテーマにした「バトゥータ」
ルーマニアの楽団の演奏にのせて。

「カッジョ・ディーロ」ていう映画を思い出しました。
凍りついた泥道を歩く、いまにも破れそうなブーツの青年。
遠い遠い所から歩いて来たのですね。
そのフランス人の青年が、ルマニ(ルーマニアのノマド)の
歌手をさがすお話。手がかりは名前だけ。

彼は、ルマニの老人に気にいられ、
その村に居着いて、歌手をさがし続けます。
テープにルマニの歌を録音したり、
インタビューしてまわったり。
村人から、うさんくさがられながらも、
少しづつ理解されるようになります。
彼の目的は純粋に、音楽の探究だったので。
さがしていた人物は、
この老人の古いバンド仲間だったのですが
すでに死んでいることが分ります。
彼は、撮りためたテープもデッキも破壊して
土に埋めてしまいます。

おすすめの映画、て訳じゃありません。
でも、その中で好きなシーンが。
ルマニの老人の部屋の壁に、
むかし録音したのだろう、レコードが一枚
むき出しで掛けてある。
青年は、針とかみの筒を組み合わせて、
即製の再生機をつくってあげる。
手でレコードをまわすと、ちいさく音楽が。

ルーマニアの音楽を生で聞きながら…
いいなあ。
ぜひ、見たいものです。

2008/9/30 ZED

シルクドゥソレイユの「ZED(ゼッド)」を見た。
トライアウトのチケットが当たった。
グランドオープンは、10月だけど
会場にお客をいれて、ほぼ本番のリハーサルをする。
常設公演なので、アメリカの「O(オウ)」や
「Zumanity(ズーマニティ)」「Kヒ(カー)」のように
ずっとここ、ディズニーリゾートの一角で上演される。

子どもの頃、サーカスの世界は
ノマド(ジプシー)の「旅芸人の記録」や
女の子のピエロ「道」みたいに、
なんとなく哀しげ。
でもなぜか、サーカステントを見ると、わくわくします。
テント。それはライブであり、あとかたもなくなってしまうもの。
サーカスの重要な要素のひとつだと思います。

シルクドゥソレイユは、
毎年、原宿のテントで、新しい演目をやっている。
来春は「コルテオ」。
いままでの日本公演は全部見に行きました。
アメリカのも見に行きたいな。

初めて紹介された時、
「シルクドゥソレイユ」ってなに?
歯切れのいい説明ができていなかった。
サーカスや大道芸の出し物を発展させ
もっとユニークなパフォーマンスを目ざしていたから、
サーカスっていう枠におさまらない。

たとえば、ポールを登る芸を発展させて
ポールに垂直につかまったまま
モダンダンスの群舞をしているような演目。
トランポリンを使って
垂直の壁を、歩いているような
追いかけっこをするような浮遊感。
天井から釣られた、幅広のリボンを使って、
空中で輪を描いて泳ぐ魚のような、
まるで重さってものがないかのような女性達。
今まで見た事のない、
新しい世界を模索していた。

今回のZEDも、ストーリー仕立てで
あるけれど、サーカスの世界に
もっと深く回帰しているようだ。

命綱なし、セーフティネットなしの、綱渡り。
(最後の大わざでは、さすがに命綱つけていました)
手をにぎって、はらはらしながら、天井を見上げる。
若々しい空中ブランコは、真っ白なフランス風の衣装。
イタリア風の衣装の、ポールとトランポリンの芸。
ロシア風の真っ赤な衣装の組み体操。
頭の上で逆立ちの人を支える、苦行僧のような表情までが、
ほんとうに良くみえた。
バトンは、たしか世界選手権で優勝した日本の男の子じゃないかしら?
体にじゃれついているようなバトンの動き
高く高くあがってゆく、バトン、
見ていて気持ちがいい。
カウボーイが使うような投げ縄の演技は、
アフリカ風あるいは、ネイティブアメリカン風?
縄に照明が当たると、波打つ光の輪のように見えます。

どの衣装も、素敵でした。
昔風のシンプルないかにもサーカスっていうラインに、
今までシルクドゥソレイユがつくりあげてきた、
体にぴったりで、かつ造形的なデザインがプラスされ
ますます洗練されていました。

出演者の身体は、
これまでの、細くしまったウエスト、筋肉隆々という
作りこまれた肉体、というよりは
もっと健康的で、自然な体形に変わってきているようです。
最後の演目、男性と女性、ふたりの「バランス」では
特に、肉体そのものの美しさを堪能。

真正面のプラチナ席だったので、
演者の表情、飛び散る汗、衣装の細部までが詳細に見える。
ものすごく迫力ありました。
サーカスの精神は健在です。

残念なことに、開演が遅れて、
フィナーレまで、見れなかったのです。
最後のバスがでてしまうので
くやしい気持ちで会場を出ようとしたら、
スタッフから、紙を渡された。
時間がなかったので、後でよくよく見たら、
こちらの事情で開場が遅れたので、
別の日に振り替えしますから、もう一度見に来て下さい
と書いてある。
嬉しい!
こんどこそ、最後まで。

2008/9/17 ロシアの卵焼き

キジー島の古い教会を見に
中村雅俊が車を走らせていた。
先週のテレビ。

スタートは忘れたけど、
サンクトペテルブルクからだと
いったいどのくらい走るんだろう、気が遠くなりそう。
て思ってたら、だいぶはしょった。
港にいた、カモメも、フェリー客を迎える桟橋の犬もとばして、
あっという間に、キジー島の、たまねぎ屋根をのぞんでいた。
幻想的な木造建築物の迫力を
テレビは、ちっとも伝えてこない。

4年前、ロシアへ旅行した。
キジー島への入り口、オネガ湖畔の街、ペトロザボーツクは
モスクワよりは、隣国フィンランドに近い。
観光客にとっては、たしかに、見るべきもののない街だろうが、
それは訪れる側の問題。
旅はどれも違うし、どれも驚きに満ちている。

稼動していないガラス工場。
ほそい鉄骨の観覧車はフワフワする乗り心地。
雑草のなかに埋もれた、カルーセル。
湖畔の結婚式場。
リボンで飾った車がカップルを乗せて行く。
おしゃれなクルーザー。
ちいさなスーパーマーケット。
量り売りのキャンディ。
朝市にならぶ、摘みたての樹苺は、
どれも違うおおきさのビンにつめられていた。
少女のような頬をした、おばあちゃん達。
庭咲きの大輪のダリア。
樹みたいなキノコ。
街路樹につくられた、子どもの隠れ家。
繊細なモミの枝。

モスクワでは見かけなかった、
樺の樹細工や、素朴な粘土のトナカイ。
古民家のなかで、おねえさんがやっていた、錦糸の刺繍。
庭でなわとびをしている女の子の
きれいな水色のカーディガン。
冬が長いここでは、どんなに手工芸が
洗練されているか、ちょっと考えればわかる。
でも、本屋さんで買った手芸の本には、
しまりのないディズニーキャラがならんでいたっけ。

ホテルの向かいに街のひとたちも利用する
食堂があって、わたしたちは機会があればそこへ行く。
なかでも卵焼きがお気にいりで、何度も注文。

あの味が忘れられなくて、試行錯誤、細々と。
今年、薄手だけど、毎日のお弁当用にと、
四角い卵焼き器を買ったので、再チャレンジ。
本当は、小さくていいから、厚手の鉄のフライパンがほしい所。
昔持ってた、一人用の南部鉄の卵焼き器。
引越し以来見つからない。
残念。これにぴったりなのに。

最近ついに、重要なな素材を、発見しました!
トマトの缶づめ、ダイスカット、トマトジュース漬け。
(これで、ひとつの商品です)
卵を2つ割り入れたら、
トマトの缶づめ、小さじ2〜3杯。
塩。
私はこれに、エダマメ入れるのが好き。
ハムもいいけど、いれ過ぎると、卵の味が薄れるしね。
主役は卵ですから。

フライパンがあったまったら、油大さじ1。
すこし待つ。
卵液を入れる時、ジャーって賑やかに音がするくらい。
いれたら中火。気持ち弱め。
いつもなら、
半熟のとき、一回だけフライパンのなかでかき混ぜる。
その後くるくる巻きあげると、お弁当の玉子焼き。
でも今回はなんにもしない。
卵がじっくり焼けるのを、待つ、て言うより、ほっとく。
(もしフライパンにフタがあったら、使いましょう)
ふっくら膨らんで、玉子の焼けるいいにおいがしてきたら、ころあい。
下は火が通ってるけど、上はまだ半熟。
半分に畳んで、火を消し、ちょっと置く。
余熱でもう少しだけあたためる。
キツネ色より、すこし焦げ目がついてるくらいがおいしい。
アツアツの内にぜひ。

できることなら、あのおいしかった、ボルシチも。
まだ、これっていう出来にいたっていない。
やっぱりビーツかな。
こちらはまだまだ続きそう。

2008/9/11  ジェシー・ジェームズの暗殺

映画館に行けなかったので、DVD。
「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」と
同時期で、あちらのほうが広告多かったし、
あまり話題にならなかったようだ。

ジェシー・ジェームズ。
南北戦争終結後のアメリカ、
強盗団の一員でありながら、
なぜか世間から愛される。

北軍の金持ち達への脅威になっていたこと、
南部の人々の心をひそかに満足させていたことなど、
背景は、いろいろあっただろう。
絵本に描かれ、子ども達があこがれるヒーロー。
日本でいったら、石川五右衛門とか、清水次郎長とか、
いわゆる義族でしょうか。
主演のブラッド・ピットがかなり力をいれて制作に加わったらしい。
でも本当の主役は、
彼にあこがれながらも、彼を暗殺する青年。

用心深いことで有名だった、ジェシー・ジェームズ。
みごと暗殺に成功した青年は、懸賞金を手に
アメリカ全土で、
その暗殺の一部始終を舞台にして公演する。
ところが、会場からは、そしりの声。

英雄として花々しく
世間に受け入れられるものと、思っていたのに。
酒場を経営し、安穏な生活に落ち着くかと思われた頃、
ジェシー・ジェームズを「後ろから撃った卑怯者だから」
という理由で自分の酒場で撃たれて死ぬ。

ジェシー・ジェームズがどんなに、魅力的な人物か。
機知にとんだ会話。
ととのった顔立ち、子どものように澄んだ瞳。
そして、あまりにも冷酷で、非情。
憧れて憧れても、彼にはなれない。

ジェシー・ジェームズの死体は、
写真を撮られたあと、買い取られ、氷漬けにされて、
見せ物として全国をまわる。
彼の死を悼む者、名高い無法者を一目見ようと沢山の人がやってきた。
死体の写真は、土産物屋などで売られていた。

そしてこの役どころには、思い当たるものがある。
「リバー ランズ スルー イット」
ロバート・レッドフォードが監督、
美しいフライフィッシングが話題になった映画でした。

魅力的で、頭の回転がはやく、強情で、反社会的な弟。
主役はあくまで兄。
兄の目をとおして描かれる弟像なのですが。
父、兄、弟。一番大きな魚を釣り上げ
父と兄に釣果を見せた時の、
ブラッド・ピットの顔といったら、
うれしさよりも、今にも泣き出しそうな子どものよう。
映画の中で、最も輝いていました。

あれ以来、ブラッド・ピットは似たような役で
いくつか映画を撮っていますが、残念ながら、
今回も含めて、あれに匹敵する出来のものはない。
ブラッド・ピット一番のはまり役だと思います。

2008/8/23 白い馬

「世界の車窓から」
時々見ます。
その日、イギリス南部。
丘の斜面に描かれた、白い馬が見えました。

シンクロニシティ!
ちょうど、「イングリッシュ ペイシェント」
読んでいたのです。
映画では、イギリス人の患者を、中心にお話がすすみますが、
本のほうは、看護婦のハナと
爆弾処理のインド人青年に
もう少し重点がおかれています。

インドの青年は、イギリス人に育てられたので、
恩義と、あこがれもあり、イギリス軍に入隊します。
彼が教育を受け、成長する中で、
ヒルフィガー(hill figure)という、
古代の人々がつくったという、
丘の馬型を見に行くのです。
どんな形をしているんだろう?
本のなかでは、想像するだけです。

長野の「白馬岳」にできるような
雪の模様と似たようなものなのだろうか。
あれは、白いから「白馬」なのではなくて、
田植えをする時期を占うための形なので
「代馬(しろうま=田んぼの代かきをする引き馬)」なのです。
しかも馬型は、雪が溶けた地面の方で、
白い馬ではないのです。

「世界の車窓から」で写っていたのは、
「アフィトンの白馬」
(注:この話、ずいぶんと前のことです)
学術的な調査が行われ、このアフィトンの白馬は、
3000年前の青銅器時代から、存在しているということです。

想像とは、ずいぶんちがっていました。
流線的な細いボディ、剣のような足。
石灰質の白い地表を、むきだしにすることで
馬の形をあらわしているのですが、
地元では、昔、退治されたドラゴンをかたどっているのだと
言われていたそうです。

アルタミラやラスコーの壁画を思い出しました。
古代の人々の造型のセンス、美しいです。

同じように、馬をかたどったヒルフィガーが
あちこちにあるのですが、
もっと現代的な馬の形をしています。
それらは、時代が新しく
どうも、このあたりが馬の産地で、
交通の手段としての馬を、宣伝する、
いわば広告だったといわれています。

ヒルフィガーといえば、
トミー・ヒルフィガーって
ファッションブランドがありますね。
ドイツとアイルランドの血筋だと言う話ですが
なにか関係はあるのかな?
日本の物部さん、みたいに
なにか職業として従事していたとか?

2008/8/13 家庭用電気製品

以前、D社のやっている、
「デザインで新しい家電を考案しよう」というような
主旨の公募があって、知り合いの方から、
「賞品は、欲しがってた掃除機だよ」
ってことで、紹介された。
(女性限定なのだ)
まあ、当選する訳はないけれど
応募数が少なくて、ちょっと困ってると言うし。

朝起きると、ラジオをつける。
お天気、ニュース、トピックス。
でも、朝食の準備をすれば、
ガスコンロを使うし、換気扇をまわす。
湯沸かし器、水道、電子レンジ、洗濯機。

私は、金管楽器を吹いていたせいか、
もともとか、
どうやら難聴気味なので、
どれかひとつでも、つければ、
ラジオが聞き取りづらい。
ふたつ使えば、もう完全に聞こえない。
これが、すごくストレス。
なんで、静かに料理できないんだろ。

指向性ラジオはもうあったっけ?
公共向けの研究であったと思うが、
これって、デザインの問題かしらね。

指向性ラジオって、
まわりに、人がたくさんいても、
そのなかのある人にだけ、聞こえるラジオ。
他の人には、ほかの音源が聞こえている。

たとえば、台所の自分が立つ位置の真向かいに、
なにかパッチのようなものをはって、
そこにラジオの音が反射して聞こえるとか、
家中を移動する私を追尾して
常に音を伝える方法ってないのかな?

イヤホンだって、進化、軽量化しているんだから、
イヤホンをして、聞けばいいじゃない、
という人には、そうしてもらえばいいけど。
イヤホンすれば、他の音が聞こえづらい。
まして料理は、耳も使う。
ラジオは、聞いたり聞かなかったり、
自分が集中したい音を、即座に選んで聞けるからいいのに。
わがままだなあ、と言われればそれまでだけどね。

単純に、ラジオのボリュームを上げればいい。
でも、難聴の人は、大きな音がいいかというと
そうではないのです。
大きな音は、うるさくて苦痛なのです。
ききとりやすい音の大きさの幅が、ひとそれぞれ、あるのです。
聞きたくない音だけ、打ち消す方法があればいいんです。
研究はされていて、原理も分ってるけど、
家庭用の普及は、今のところありません。

と、周りをみまわすと、
掃除機もうるさい。
赤ちゃんが寝てても大丈夫
というのは、ここ何年かで、やっとでてきた。
洗濯機もそう。それに、ドラムが汚れてるの分ってても、
自力でとりはずして、掃除はできないし。
(液体のを使えばいいんですよね。
でも、きれいになったの見えないんですもの)
ちょっとした故障も、修理ができない。
新しいのを買ったほうが、いいですよ。と言われる。
電気製品メーカーは、次々とあたらしいモデルを
買ってもらったほうが、都合がいいしね。
長く大事に使っていこうって考えじゃない。
もちろん、「省エネだから」という勧め方だ。

あらら、いつのまにか、電気製品の文句になっちゃいました。
ということで、
結局、応募したのは、べつの案。
説明する程のものじゃありません。

お話はかわりますが、
毎朝の声は、なんといっても、ジョン・カビラ。
開局から聞いています。
だってね、聞き取りやすい。滑舌がいい。元気がいい。
(良すぎだ。うるさい。という意見もあります)
朝のパーソナリティが変わったときは、
ほんとにがっかりしました。
今は週一回、聞けるので嬉しいです。

2008/8/1 学校給食

ジェイミー・オリバーが学校給食に取り組んだイギリスの番組が
DVDになっている「スクールディナー1・2」。 
イギリスの学校給食は、食品会社からおくられる
冷凍食品をあたためるだけ、が主流。
もちろん公立校の話。

どんなものを食べているのか? 
なにかわからない混ぜ肉ソーセージのフライ
フライドポテト
生野菜なし
ジェロってよばれてる、ぶるんぶるんのみどりや赤のゼリー
などなど。

彼は、役所に陳情に行き、
改革に乗り出すための、許可を得る。
派遣された小学校には、厨房のついた給食室がある。
中流クラスの学校のようだ。

初日、彼が料理した、湯気をあげているおいしそうな料理。
ところが、子ども達は見向きもしない。
子どもは見慣れない物を、食べたがらない。
どんなにおいしそうでも、はじめてのものには慎重なのだ。
おししいことは、請け合いなのに。
食べてくれないことには、どうしようもない。
まず学校の給食室のおばちゃんを教育し直す方法を模索。

給食室で衝突を繰り返していた彼は、妙案を思い付いた。
一番強硬な、チーフ格のおばちゃんを自分の店へほうり込んでしまおう。
でも、やっかいばらいしたわけじゃない。
本当の料理を見て、初心に返ってもらうのだ。

厨房で、セレブ達に供される、おいしそうな料理をみている内に、
おばちゃんにも変化が! 
もともと、子どもが大好きで、この仕事についた彼女、
どちらが子ども達の為になるか、はじめから分っていた。
変化は面倒なだけで、だれもが敬遠したがるもの。
だが、とうとう改革の時が来た。

給食室のおばちゃん達を、再教育するプログラムでは、
軍隊の施設を借りた、おばちゃん達の野営。
どしゃぶりの中、テントで料理をつくります。
とてもシャレが効いています。いわゆるブートキャンプです。

給食室は変わった。冷凍食品はやめて、給食室で調理したものを出す。
一食あたり130円。
レストランとは違うので、高価な食材は使えない、
ここにも、乗り越えなくてはならない壁。

130円、安いよね?
ウチの近所の小学校では月3000円くらいなので、
120円。こっちも負けずに安いです。
さすがに、食の国イタリアでは240円くらい。(?金額ちょっとあやふやです)

日本でも、給食については、賛否両論あるけれど、
どんなに働く主婦の助けになっているか。
給食費は払って欲しいわー。
検討すべきは、その内容だよね。
小学校の給食献立を見てみると、
ご飯給食は、月に2、3回しかありません。
日本人なんだし、もっとお米を食べてほしい。
お箸を持って、学校へ行っては、どうしていけないのかな。
食糧難の時代なのに「減田」、必要なの?
「食育」といわれて随分になるけど、どこを向いているのかな?

お話が違う方向へ行ってしまいました。
子供達の反応は?
「ジェイミー出て行け!」とデモ行進したり、昼食を買いに外に走ったり。
給食室に食べに来ない子供達を、試食作戦で釣ったり、
折衷案としてサンドイッチを作ったり。
長い道のりかもしれないけど、子供達も慣れてくれるだろう。
だから、ここはもう任せて大丈夫。

ロンドンの学校は、給食室のおばちゃん達にまかせて、
地方の、もっと低所得者の多い学校へ。
そこでも、子供達が食べているのは、混ぜ物の肉や、ポテトのフライ。
家では、さらにひどい食事。
ここでは家庭に泊まり込んで、家族からの改革を目指すことに。

さて2巻が終わってみれば、3巻が出ていない。
もう1年以上待っている。もしかしたら、このまま出ないのかな? 
続きがあれば、ぜひ見たいのだけど。
彼が、おばちゃんや子ども達と、
どうコミュニケーションとっていくか、見ていて楽しい。

外国の学校では、当然のように
食事をするための、カフェテリアがあって、
子供達は、教室の自分の机で食べなくていい。
お友達のおかあさんに、聞いたところ、
東京都内の小学校も、空いている教室などが多いので、
そういったスペースに当てられていて、
給食は別室なのだそうだ。
全国的には、どうなっているのかな?

と、学校給食についてくどくど書いてみたけど、
現在、中学生になったウチの子どもには、毎日お弁当をつくっています。
実は、これがものすごいプレッシャーで、
3ヶ月もまえから、シミュレーションしました。

行事などのお弁当は、作るのに1時間以上たっぷりかかります。
まあ、それは特別だから、差し引いて考えたとしても、
朝おきてから作って、間に合うのか?
ほんとに毎日できるのか?
朝に弱くて、忘れっぽい、この私に?

タッパーに水と冷ややっこをいれて、醤油持参で行くとか、
お皿にご飯とカレーを盛り付けて、ラップしてそのまま持って行くとか、
(職場でチンするのね。水平が気がかりだわ)
世の中、ビックリするようなお弁当の話があれこれありますが、
栄養のバランス、見た目、暑さ、寒さ。あれこれ気をつかいます。
お弁当レシピを増やすため、
できるかぎり自分のお弁当をつくって、
慣らし運転です。

4ヶ月が過ぎようという今、
意外なことに(寝坊したりして)作れなかった
という日はありませんでした。
夏休みもお弁当もって、部活です。
(出来ない事ではないんだなあ)
帰りのお買い物で荷物は増えたけど、
家族分のお弁当をつくれば、
結果的に、お財布にもやさしいことが分りました。

2008/7/19 梅酒と梅シロップ

焼酎をいただくと、なかなか減らない。
(ビール党なもので)
料理にも、ちょっとつかいづらい。
飲めばおいしそうなのに、もったいない。
とそこで、梅酒をつくってみることに。
それに、子どものリクエストで、梅シロップ。

青山の金物屋で見つけた、オーソドックスなビンを購入。
焼酎は頂き物なので、タダだけど、ほかにいくつか入り用です。

氷砂糖 1kg
保存ビン(2?入) 2つ
青梅  1kg

早々とスーパーで、買っておいた、南高梅と氷砂糖。
ビンをそろえるのに、時間がかかって、
その間、梅は青から、うす黄色に変化。
杏のような、とってもいい香りがする。
いそいだほうがいいのかな?

保存ビンを、鍋で煮沸消毒をしようとしたら、
あら はいらない。
仕方が無いので、熱湯消毒。
ただし、急に熱湯をかけると、われる危険。
中程度の温度で温めてから。
どうしても、気になる場合は、アルコール消毒という手もありますが、
まあ、私はそこまでは気にしない。

梅は、ヘタの部分を、つまようじでていねいに取る。
これけっこう、楽しい。
するっと取れたあとに、きれいなお臍があらわれます。
実を、洗って、乾かして。
さて、準備がすべてそろったところで、
ビンにつめる。

梅酒の割合は、
梅 1 : 氷砂糖 1 : 焼酎 1.2〜1.8

梅シロップは、
梅 1 : 氷砂糖 1 

目安なので、ほどほどで。
梅と砂糖を交互にビンにいれてシロップは終了。
梅酒はその後に焼酎をいれます。
フタに日付けシールをはって、おしまい。とても簡単。
さて、翌朝。

おお!
梅シロップのビンの底に、透明な液体が。
梅酒のビンは、週に1回くらいの割でビンを揺すってかき混ぜます。
梅シロップは、毎日1回から2回。

氷砂糖が偏らないように、上になった梅がシロップと絡むように。
毎日、少しづつ増えるシロップが、なんだかうれしい。
アルコールが発生する場合もあるので、
フタを開けてかき混ぜる、という方もいるようですが、
面倒なので、ビンをゆっくりまわしてあげればいいことに。
ビンに余裕があるから、混ぜやすいです。

もし、ビンの口いっぱいまで、はいっていたら、
上下を入れ替えてあげるためには、
やはりフタを開けて作業しないといけないかしら。
(ビンを逆さまに、するってのはどうかな?)
ここ、けっこうポイントかも。

10日ほどして、梅シロップのビンでは
氷砂糖は完全に溶け、梅はシワシワに。
シロップだけ鍋にとって、一煮立ちさせます。
これでアルコール分も飛んでしまいます。
(子どもも飲むので)

アクをすくう、とか、ガーゼで漉して一晩おく。
とか、いろいろアドバイスありましたが。
そく、水で割って、飲んでみました。
すっきりした甘味と、梅の香り。
おいしいです。元気がでます。
ちょうといい感じに割るのがむづかしいので、
朝、水さしに、割ったものを作っておけば、
飲みたい時にすぐ飲めます。
(コップ一杯に、スプーンいくつと、決めておけばいいんでしょうね)

お庭でとった梅なら、アクも取った方がいいと思うし、
梅の実に、フォークをさして、エキスが出やすくしたり、
皆さんとても工夫していらっしゃる。
忙しい人は、いい梅の実と、おいしい焼酎をえらべばいいですよね。
梅酒はまだまだ待たなければなりませんが、
梅シロップの“お手軽”の割においしいところが、
気にいりました。
また作ろうと思います。
もう、梅の実は時期を過ぎちゃったから、
来年です。これは一年研究です。

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