ミヤハラヨウコの日記

 2008年01_06

2008/6/17 ENCYCLOPEDIA

二、三十年前まで、たいていの家に一セット、
百科辞典はあった。
重いしかさ張るし、今となっては見向きもされない。
資源ゴミの回収日に、積まれているのを見るくらい。

学生の頃、友達が大手出版社で
バイトをしているというので、よくよく話を聞いたら、
百科辞典編纂室。

それは、華やかな雑誌編集室を、
すべて通り過ぎた先にある、地味なグレーの扉。
コンクリートの冷たい壁に囲まれて、
事務机が、5、6台、ただそれだけのちいさな部屋。
どの机にも、全体的に白っぽい老人が、一人づつ。
(窓際?!)と瞬間、思うが、窓は無い。

そんなところに、二十そこそこの女の子が一人。
書類の整理とか、お茶をいれるとか。
仕事のほうも、進んでいるんだか、いないんだか。

彼女は、育ちが良くて、人当たりも良くて、
体は細いのに胸はしっかり。
細面に、ぽってりの唇。
たしか年齢がいくつか上だったと思う。
学校で休み時間にメイクを教えてくれたし、
東横線で痴漢にあう話をよく聞かされたが、
それが、まったく嫌味が無い。

百科事典編纂室の話だった。

華やかだった頃は、もっと大きなお部屋で、
人もたくさんいて、活気があったのは確かなのだろうが。
この時点で、もう20年も前のお話なので、
今は、どうなっているんだか。

今でも私は百科辞典が好きだ。
パソコンなら一発検索できるけど、
いろんな音や動画もたのしめるCDROMに比べたら、
情報量が少ないだろうけど。
それだって、香りや風は感じないでしょ。

本は、なかなか買ってもらえなかったので
暇があれば、百科辞典をパラパラとやっていた。
いろんな図版や写真を見るのが楽しかったし、
こんなにたびたび、ぱらぱらやるのに、
その都度、新しい記事を見つけるのが不思議。
(全部読んで覚えているわけじゃないから、
不思議でもなんでもないけどね)

「少年サンデー」に、
(時々、従兄弟のマンガを読みにいっていた)
「がんばれ元気」の連載が始まった。
元気は学校へ行かないで、百科事典で勉強していた。
お父さんと、トレーニングしながら全国を歩き回っていたからだ。
「それでいいんだー?!」驚きだった。
(特に好きってわけじゃなかったので、
最後まで読んだ記憶はないけど、たしか学校へ行くところから
話が始まる。百科事典は背負っていたのかなー?)

今、うちに百科事典はないけれど
幼稚園の頃に買ってもらった「絵本百科」
まだひとそろい持っている。
薄めの12册が一組になった、絵ばかりの大判の本。

幼稚園でもやった墨ながしや、
(水面にインクをながして、紙に写し取る遊び。
これのものすごく凝ったやつをヴェニスの店で売っていた。原理は同じ)
紙粘土のお面の作り方なんかも、載っていた。
まだ見た事のない(当時はちょっと恐い)サーカスや、
石油を運ぶ巨大タンカー。横浜で見た氷川丸。
知らない外国のお祭りや、高層ビル。

「24の瞳」の壷井栄が監修をして、いろんな画家が絵を描いている。
情報としては、お話にならないくらい古いけど、キッチュでかわいい。
今でも私の愛読書のひとつ。

小学生のころ、すでにだいぶ痛んでいた背を、
セロハンテープで修理した。
これはやってはいけなかった。
ただし、ずっとそのままだったので、
もうテープの粘着力もなくなって、
ぱらぱらと、きれいにはがれる状態。
「Out Of Style」で修理の仕方を、教えていただいたけど、
なかなか修理してあげられない。
ここまで、持ってきたから、この先も長いおつきあいなるだろうしね。

2008/5/29 地球最後の男

「あなたが地球最後の男だったらどうするか?」
というアメリカのジョークがある。
答えは「地球最後の女をさがす」。
星新一のショートショートにも、そんなテーマの話があった。
「ノックの音が」だったっけ?

このジョークの出どころは、
リチャード・マシスンのSF小説「I Am Legend」だろう。
過去3回映画になっている。
最近のところではウィル・スミスが主演した。

「I,Robot」(アイ ロボット)の映画が散々だったので
映画館へ行く気にならなかった。(アウディの車もイマイチだったし
電気8輪車 Eliica の方がずっと未来的でかっこいいです)

主人公の名前が「ネヴィル」だったので、
思い出したのは別のお話。
(マシスン原作の主人公がどんな名前だったか、
忘れたけど、映画の副題に地球最後の日々、
というようなフレーズがあったから、
きっと偶然ではないんだろう)

ネヴィル・シュートの「渚にて」
映画では、グレゴリー・ペックが潜水艦の艦長を演じていた。

北半球で、ある日突然、核戦争がおこり、
南半球だけ生き残るが、残された日もあとわずか。
放射能が、地球を覆いつくすのも時間の問題だから。
人類が過ごす最後の日々について描かれた物語。

海底にいて、生き残ったアメリカの潜水艦は
オーストラリアに入港した。
北半球の世界はすでに沈黙していた。
そこに、モールス信号が届く。
発信地はアメリカ。
意味不明の信号は止む事がない。

新しい任務として、潜水艦は北半球の放射能値を、
測定しながら、大平洋から北極へ向かう。
人類が生存可能かどうか、調べるために。
あるいは生存者を救出するために。

途中、サンフランシスコ港へ立ち寄ると、
街はまったく破壊された痕跡はなく、
ただ人間と動物達がいない。
潜望鏡から故郷の街を目にした、乗組員の一人は、
艦を脱走して、そこで死ぬことを選んだ。

モールス信号の発信地である、サンディエゴの発電所。
防護服をきた乗組員が確かめに行く。
信号を打っていたのは、風にゆらされたブラインドの紐に
ひっかかっていたコカ・コーラにの瓶。
瓶を取り除いた乗組員は、そのように打電した。

オーストラリアへ戻ると、
残された日が、本当に少ないことを知る。
あちらこちらで、放射能による症状が出始めていたから。

のこされたガソリンをかき集めて、カーレースをする人。
400樽のワインを飲みつくそうと、店に通う人。
マス釣を解禁させて、釣を楽しむ人。
教会で賛美歌を謡う人。

潜水艦は、乗組員達の投票で、故国へ帰ることに決まった。
もうだれもいないだろうアメリカへ。

今、こんなことになったら、街も人も無傷というのはあり得ない。
暴動がおこるのは当然のように思われる。
そうなったら、残るのは植物だけだろうか。
「地球の長い午後」みたいな世界になるんだろうか。

お話を思い出して「渚にて」をまた見たくなった。
名作という映画ではないが、
グレゴリー・ペックが若くてなんてかっこいいんだろう。
彼本人のことは、なんにも知らないけど、
本当に誠実そうだ。

「アラバマ物語」のアティカス・フィンチ役が、
彼の代表作と言われるのは、分る気がする。
(アティカス・フィンチはアメリカの“良心”なんだろうね
アメリカ人、理想が高すぎると思うよ)
日本では「ローマの休日」のラストシーンのほうが有名ですね。

2008/5/2 LOST

ずうっと以前、着物の仕立てをお願いした時のこと
古着屋で買った夏の反物は
全く高い品ではなかったけれど
あわてた事件がありました。

染み抜きや洗い張りをお願いしていたお店では
仕立ても受けてくれたけれど
直接お願いできる仕立て屋さんを探していた。

広い肩幅、長めの手
ようするにわがままの言える人を探したかった。
知り合いに聞いたり、学生のころの記憶を掘り起こしたり。
タウンページを見たら、通勤路線内に一件ある。

さっそく電話して伺ってみたら
もうかなりのご年配。70代くらい。
お話をすると、しっかりと受け答えをされ
サイズのこともちゃんと分ってくださった。

反物を2つ預けて
あとは連絡を待つのみ。

ところが、いつまでたってもその連絡が来ない。
このくらいには、と言っていた日限はとっくに過ぎている。
どうしたんだろう。
電話をしても呼び出し音がなるばかり。
直接伺ってみると、ドアには、私と同じように、
連絡がとれず困っているらしい人々の痕跡。

「連絡ください」の貼紙やらメモ
ドアノブにかけられた、紙袋。
取り立てのようなガサツな感じではないが
なにか、異常なことが起こっている気配。

一階にあるお店やさんで伺うと
「入院されていますよ」
と丁寧に、病院まで教えてくれた。

仕方が無いので、お花を持って面会へ。
だれ? という視線に一瞬ひるむ。
「こんにちは」
(お会いしたのは都合3回くらい、覚えてないのかな)
体調のことを聞いても、お仕事のことを聞いても
首をかしげるばかりで、お話がぜんぜん通じない。
困った。
仕方が無いので「また来ますね」と帰ってきた。

しばらくして、もう退院したかしらんと
急に、電話してみる気になった。
つながった。
ほっ!
としたのも、つかの間。

親類だという人が「今、引越の最中です」という。
なにがおこっているんだろう?

こちらの事情を話すと、
今、荷物を整理しているから
預けた反物をとりに来てくれというので
駆け付ける。

部屋のなかは、引越しというよりは
“物色中”という印象。
姪だというおばさま二人が
荷物を、整理している。

私の反物の一つは姪の一人が以前、引き取った(?)
というので、送り返してもらう。(当然です)
もう一つがでてこないので、
詳しく色柄など説明すると、
アパートの裏庭に、ゴミとして処分した山の中に?!
身頃は仕立てた途中で、そばには、ついていない袖のひとそろい。
でも、どこをさがしても衿がない。

途方にくれていると、
おばさま達が、申し訳なく思ったのか、
タンスの中から、好きな着物を持っていってくれと言う。

どうしようか迷ったけれど、
仕立て屋のおばあちゃんの行く先を聞いて、
そうするしかないとわかった。

おばあちゃんはもうボケてしまって
知り合いの顔も、仕事の事も、すっかり忘れてしまったらしい。
静岡あたりの養老院へはいるのだという。

おばあちゃんは、自分のものは、
ほとんど何も、持っていかない。
必要がない。
大好きな着物も、旦那さんの思い出も。
きちんと整とんされ、おさまるべき所におさまっていた
このお部屋のものたちは
今、ほとんどが裏庭で、ゴミとして引き取られるのを待っている。

大切にしている物も、他人から見れば、べつの価値でしかない。
それは当然だけど、分ってはいるけど。
やりきれない。

おばあちゃんはこの仕事を長く続けてこられたので、
端切れもたくさん持っていた。
二回目に伺ったとき「これは振りそでを切ったの」とか
「男物だけど何かの時に」と取っておいたのだと説明してくれたっけ。

そんな端切れにまで手をだすのはなんだか
いけないような気がして、
すすめられるままに白の結城紬、
それに似合う、あかるいグリーンの羽織り、
そろいの帯をいただいた。

持ち帰ってよくよく見る。
とてもちいさい仕立て屋のおばあちゃん。
布になるべくハサミをいれないよう、
折り返しが長く縫い込んである。
仕立て直せば、背の高い私も充分におはしょりできる長さだ。
物を大切にしていた昔の人なのだなと思う。
きれいな端切れも、いただいてくれば、
下駄の鼻緒や、巾着になっただろう。
古布ブームで品薄だしね。

さて問題の、衿のなくなった私の着物。
お着物の本もかかれている、Sさんに相談する
もともとは主人の仕事関係の知り合いだったけど
素敵なお着物をたくさん見せてくださって、
何度かお着物をいただいたこともある。
もうすっかり私の着物のお師匠さん。

(Sさんのお着物は、ほんとうに素敵!
大切に大切に着ています。
紬や絣、織りの着物。
お預かりしている気持ちで今はとりあえず
私の箪笥にはいっているのだと
思うようにしています。
これを返すのは、いただいた方でへではなく
私の娘かもしれないけれど、
そうやってひきつがれていけたら、いいなと思います。)

ごひいきの呉服屋さんを紹介してくださった。
伺ってみると、
昔、こういうケースを受けた事があると言って
引き受けてくれた。

仕立て上がった着物は、どこからどう見てもちゃんとしている。
身頃から、衿の布を切り出したらしい。
いったいどこからどう切ったのか、まったく分らない。

その夏の着物は私の箪笥で何ごともなかったように落ち着いています。
しばらく袖を通していないので、5月にはいったら着ようかな。
5月は夏のように爽やかな日もあるから
日傘をさして買い物でも。

2008/4/21 HOLLAND LIGHT

17世紀のフランドル絵画に描かれ
かつてオランダにあったとされる光は、
20世紀後半に行われた湖の干拓がもとで
永遠に失われてしまった、と
ヨーゼフ・ボイスは言っている。

ドキュメンタリー映画「オランダの光」は
(原題/DUTCH LIGHT-HOLLAND LIGHT)
その「オランダの光」の存在を追い求める試み。
たしか、恵比須の写真美術館で上映していた。

レンブラントやフェルメール、
17世紀の絵画を求めて、世界各地の美術館をたずねながら
オランダ、フランス、イタリア、イギリス、アメリカへ。
「オランダの光」とはなんなのか?
プロヴァンスの光とは、
アリゾナの光とは、なにが違うのか?

映画のなかでも紹介されている
ヨハネス・フェルメールの「デルフト眺望」
私は本物を見た事がないのですが
この映画を見たあとだいぶたってから、
夢に見ました。

部屋のまん中に、額もないその絵が置かれていて
裏へ回って絵を見る事もできるのです。
だって、その絵はまるで、
それ自体が輝いているように見えるのですもの。
裏へまわって確かめたくなる気持ちはわかってもらえるでしょう。

フェルメールの絵を見るために
世界各地の美術館をめぐるツアーが、
小説「ハンニバル」以降、人気がでちゃった話もありますが
いつか見にいけたらいいな。

「オランダの光」それはシンプルに言ってしまえば
「湿気を含んだ透明な空気」
湿気なら、日本にもあるけど、
蜜のように透明であることが、重要。

それに近い景色を、私も最近見た、と思う。
それは、激しく雨のふったあと
さっきまで暗かった雲は、夕暮れまではまだ少し時間があり、
ほんのりと白く明るい。
道路はまだ、雨を残していて、
家々や木々は、しっとりと黒い。

ところが、満開の花水木の、紅色だけは
そこだけ浮き上がっているように見える。
まるで、それ自体が発光しているよう。

雲の間からうすく差し込む太陽光線が
濡れた地面に反射して、さらに白い雲にも跳ね返される。
雲と地面の間で、反射し続ける光が空間を満たしているんだろう。
だからといって、なぜ特定のものだけが
輝いてみえるのかは、私には分らないけれど。

オランダと言えば風車。
オランダは、古くから、海を埋め立てて、
国土の面積を増やしてきた歴史があるから
いつもいつも、水をくみ出していなくてはならなかった。
風車はなにも、粉をひくためにだけにあるのでなはなくて、
その水を汲みあげるために必要だった。
低い平らな、大地。

それは、なんだか、見覚えのあるものだ
関東平野のただ中の稲作地帯で私は育ったので
山といえば、筑波山と富士山が遠くにあるだけ
空だけは、やけに広く低い。

今頃の季節、田んぼには、水が引かれて
一面、水におおいつくされる。
レンゲなんかが咲きみだれていた地面は
ある日、巨大な湖に変身する。

この湖は全く深さというものを欠いているんだけれど
道に座り込んで眺めているわたしの目には
自分の上と下に、青い空があって、
白い雲が浮かんでいる
間で私も浮かんでいる? ように見える。
(田んぼの区切りであるあぜ道なんかも編み目にありますが
そこは想像力でカバー)
代掻き(田んぼを耕している)の耕耘機が
雲の間をのどかに進んでいくのが見えます。

私の頭の中では、砂漠に時をおいて出現するという
ロブ湖のよう。
残念ながら、現在は、休耕している田ばかりで
そんなに広い水面は見られないのですが。

アメリカのコダックではなくて、
日本のフジフィルムで撮影したという、
一年間の定点観測の映像が、おもしろかったです。
そこに「オランダの光」が写っているかどうかは
見た者の判断にゆだねるというところでしょうか。

2008/4/12 WILD TURKEY

アメリカのマディソン郡郊外にある
自然保護区内の野生の七面鳥が
郵便配達員を威嚇したり襲ったりする
というニュース、で思い出した。

小学校の通学路の途中に
七面鳥を放し飼いしている家があった。
オスの七面鳥が一羽
ほかにメスが3羽くらいいたと記憶している。

集団登校だったので、
一列に並んで学校へ行く。
先頭としんがりに高学年のリーダーがいて、
3年生だった私達、低学年は挟まれて歩く。

そのオスの七面鳥は、決まって
同級生のある女の子を追い掛ける。
私達が通りかかるのを道にでて待っている。
威嚇するような鳴き声が聞こえている。

その子は、鳥が大嫌い。
見るのも、食べるのもだめ。
鳥の「目と足が嫌いだ」と言っていた。
寒くて鳥肌がたった時、
見せていじめている男子もいましたっけ。

七面鳥はけっこう大きい。
成長のオスとなれば、羽根も立派で
貫禄十分。小学生からみればかなりの大きさで
とさかなんかも、グロテスクで
確かに、恐い感じではありましたけどね。

他の子は追い掛けない。
なんで分るんだろう。
犬には犬嫌いが分るように、
七面鳥には、七面鳥嫌いがわかるのか?
でも、猫は、わざと猫嫌いの人の膝に乗ったりする。
(いやがらせだろか?)

七面鳥/Turkey は、
トルコ(Turkey)から輸入されていたホロホロ鳥が
昔はTurkey-cookとよばれていたので、
混同されてそう呼ばれるようになったそうだ。
(残念ながら、和名のいわれは知らない)

私が一人暮らしをしていたころ、
実家にホロホロ鳥がもらわれてきた。
だれが作ったのか、高床の立派な鳥舎に住んでいた。

黒いチュールのような透ける羽根に
白いドットが散っている。
まんまるな胴体、細い細い首の先に
小さな頭がのっている。
私の持っているスカートにそっくりで、
着るたびに、あいつはどうしているかと思う。
(もういないけど)

ホロホロ鳥は祖父に大変なついている様子で
小屋からだすと、
祖父が草刈りしているよこで、
加勢するつもりか、エサをついばんでいるのか、
雑草をつついている姿を見かけたものだ。
ホロホロ鳴くほかは、至って無害で、
人を襲った、というようなことは聞いていない。

七面鳥もホロホロ鳥も、飼育目的は食用で
実家では食べはしなかったが、
あの放し飼いの七面鳥は、2年もいなかったと思う。
野犬か猫に襲われたのか
それとも食卓にのったのか
それはわからない。

2008/4/1 SANATORIUM

ヤン・シュバンクマイエルの新作は、
神経科の病院の話だった。
本当は、精神を病んでいないのに
トラウマを克服する為に
自分からすすんで入院する(させられる?)男。

ガルシア・マルケスの短編集にも
そんな話が載っていた。
そうとは知らず精神科行きのバスを
ヒッチハイクしてしまった女。
着いた先で、ただ電話を借りようとしただけなのに。

そんな事になるはずないと思うけど
もしも、そんな状況に落ち入ったら逃れようがないじゃない。
私は狂っていない
などどいう言葉はなんの意味もない世界。

「まぼろしの市街戦」は
1967年のフランス映画。
昔、テレビの深夜映画で何度かやっていて
私は、好きでした。

お話は、第一次世界大戦。
フランスの田舎町に、侵攻していたドイツ軍は
連合軍が来る前に、街に爆薬をしかけて撤退。
敵軍が街に入って油断したころに
爆発するようにしかけたワナ。

それを知った住人は
街を放棄して避難した。
残されたのは、精神科の患者達。
彼等は開いた扉から街へ出て
すきな扮装をして街の住人になりすます。

そこへ偵察に送り込まれたのが主人公。
スコットランド軍の若い通信兵。
なので、キルト(スカート)をはいて
鳥かごには伝書バト。

連合軍のスパイを勤めていた床屋は
信号を打電しているところをドイツ軍にみつかり
すでに殺されてしまっていたので
通信兵が床屋へいってコンタクトをとろうとしても、
らちがあかない。だってそこにいるのは…。

主人公の青年は、なんとか時限装置の破壊に成功し
患者達は存分に自由を楽しんだ頃
爆発の起こらないのを不審に思い、街へ戻るドイツ軍。
ドイツ軍とその脅威(爆弾)が去ったのを確認して
街でお祝気分の連合軍。
ドイツ軍と連合軍はついに出会ってしまう。
街のまん中で。
患者達がイスをだして見物しているまん前で。

両軍、至近距離で互いに撃ち合って、ほぼ全滅。
患者達の機転で助かった通信兵は
後続の連合軍に合流し、さらに前線へ行くことに。

患者達はすっかり興醒めして、病院へ戻っていく。
「まったくしようがないね。正常な人達は」
とかなんとか言いながら。
着ていた服はすべて路上に脱ぎ捨てて。
開いたままの扉は、自分達でしっかり閉めて。

最後のシーンが絵のようにかわいい。
チャイムに答えてでてくる病院のシスター。
門には、全裸で鳥かごだけをもった青年の後姿。

昔の大人のコメディだなと思います。
ベトナム戦争が泥沼化する前の時代のお話ですよね。
だってね、1995年に撮られた
「アンダーグラウンド」っていう映画があります。
フランス、ドイツ、ハンガリーの合作です。
でてくる素材は「まぼろしの市街戦」と良く似ているけど、
まったく逆で、とても悲惨な哀しい結末です。
確かにコメディなんだけど、笑えません。

先日久々に「まぼろしの市街戦」を見ました。
主人公の役者さんが
ショーン・コネリーみたいな濃い顔で
そういう時代だったんだな、と思いました。

2008/3/25 6:05

近所の図書館が移転して
いままで見かけなかった本も目につくようになった。
「空中アトリエ」
それってたしか、
夕方6時5分、NHkの「少年ドラマシリーズ」
でやっていた、ドラマじゃないだろうか。

「時をかける少女」とか
「七瀬ふたたび」
「怪人オヨヨ」
「ユタと不思議な仲間達」
「つぶやき岩の秘密」
なんていう連続ドラマをやっていた。

ドラマが始まる時に、
「少年ドラマシリーズ」としての
主題曲もあったような気がする
 ♪ 6時5分はずっずだこー(?)の列車〜
ってずっと思っていたのですが、
「ズタボロ列車」の間違いらしい。
そうよねー
おかしいと思った。

それはさておき、
「空中アトリエ」
誰がでていたかは忘れましたが、
主人公の女の子のおかあさんは
趣味で油絵を描いている。
脚立をたてて、
イーゼルの足も長く長く継ぎ足して、
台所の天井にちかい場所が、
おかあさんのアトリエ。
夕御飯のしたくも、
授業参観もわすれて没頭してしまう。
職業的に絵を描いているわけでもなく
ふつうの専業主婦なのに
女の子のおやつさえ、忘れてしまう。

なんでそんな場所で?
それは、女の子が赤ちゃんの時、
おかあさんの絵の具を口にいれちゃったから。
おかさんは赤ちゃんを抱いて、病院へ走った。
それ以来、おかあさんは
女の子の手のとどかない場所で絵を描くようになった。

女の子も、納得できないし、
私も納得できなかった。
なんでおかあさんは、そんなに時間を忘れちゃうんだろう。
仕事でもないのに。
そりゃあ、私の母も、忘れものが多いし、
小学生の私も、忘れ物のない日はなかったような気がするけどね。

今なら、分りますよ。
子どもを持つようになるまで、
どんなに時間を贅沢に使っていただろう。
今は、何をするにも、時間は細切れ。
ぶらりと出かけるのもダメ。
どんなに本がおもしろくたって
寝食忘れて、なんてもってのほか。
2時間半の映画だって細切れです。

おかあさんは、物語の終りで、
絵画コンクールに入賞します。
社会的な後ろ楯があれば、OKか?
そういう事ではないでしょう。

今までのおかあさんの中途半端な態度には
まわりのみんなも納得できなかったし、
自分も納得できてなかったので、
ズルズルと時間も忘れてしまったのですよね。
おかあさんに足りなかったものは、本気です。

おとうさんは、女の子に言います。
いつかお前も「空中アトリエ」を建てるだろう。
(絵を描くってことでなしに)
それには、絶えることのない情熱が必要で、
それを燃やし続けるには、いろんなものが必要だ。
おいしい食べ物だったり、美しいものだったりするだろう。
それを理解してささえてくれる人も必要だよ。

って正確に言ったかどうか、忘れたけど
理解のあるおとうさんですよね。

2008/3/18 BOOK STORE

本屋で、本や雑誌を買うことが少なくなった。
重いし、溜まるし、高いしね。
ほとんどの雑誌は図書館で読めるので
どうしてもほしいものだけ買うことにしている。
人気の新刊は、待たなければならないけど、
私が読みたいなと思う本は
古い本が多いから…と思っていたのですが。

話はかわりますが、
渋谷駅の周辺には、本屋が多い。
以前は、少しはなれた場所に
大型店がちらばっていたのに。
いつのまにか、
スクランブル交差点をめざして集中している。

地下鉄からの連絡がいいので、
良く行っていた本屋は
ある日、パチンコ屋になっていた。
がっかりしていると、
このあいあだ、BooK 1stがオープンした。
去年まで、東急本店近くにあったビルで営業していたのに。
狭くなったせいで、児童書などは、扱わなくなった。

大盛堂はもうずいぶん前に、少しはなれたビルをたたんで、
手狭だけどセンター街の入り口に進出した。
おいてある本ももちろん縮小した。
ここはなんとなくオタクのにおいがする。
この狭さが、お茶の水あたりの本屋の雰囲気。

パルコブックセンターは少し歩いても、
行く価値があるから、と思っていたけど、
写真集以外は、普通だなと最近思う。

STUTAYAの本屋は得意分野があるので
目的の本がある時は利用しやすいけどね。

こうして並べて、見てみると、
同じように若者向けの本屋が、駅周辺でひしめきあっているので、
それなりの住み分けはできているようだけど
結果的に、バリエーションは減ったようだ。
なくなった地下の本屋は、その点、特化できていなかったので、
客数減ったのかもしれませんね。

でも、新しいBooK 1stの店鋪は、
本棚が高い。
通路が狭い。
平積みをたくさんという並べ方ではない。
雑誌より、書籍が多く目に付く。
(狭い店鋪なのでやむおえずというところかもしれないですが)

ちょっとのぞくつもりが、
手にとってみたくなる。
書籍の魅力が伝わって来る。
(最近の本の装丁のせいかもしれませんね)
ここ何年かのブックストアの展開とは、
ちょっと様子が違うようだ。

読みたい本がいくつも見つかってしまった。
あたらしい図書館と思ってみると、
いけない! その手にのってしまいました。

手始めに
村上春樹翻訳の「ティファニーで朝食を」が読みたいです。
ガルシア・マルケスの「あらかじめ予告された殺人の記録」
新刊(復刻ですね)は、なんと図書館で見つけたので、
そちらは予約しました。
一人待ちでしたが、もう順番まわってきました。
本屋に寄る楽しみ、ふえそうです。

2008/3/10 ANEMONE AND PANSY

幼稚園の思い出は
アネモネとパンジー。

「アネモネ駅から汽車ポっポ
桜草の街走ってく
ポポ ポポ シュー ポポポ」

このうたを、幼稚園で唄った記憶がある。

たしか、園の花壇にも咲いていた。
これがアネモネだよと、教えてもらった覚えはないけど
その花のことは良く覚えていて、
ああ あれがアネモネだったんだ
と あとになって結びついた。

アネモネっていう花は
ものすごく濃い色で、バチバチ睫毛の外人さん。
「セサミストリート」にでてくる
紫の顔のマペットモンスターや
アニメーションを思い出す。

日本のぼうっと滲んだような色の花とは
主張の仕方がまったく違う。
一つの株に一つの花という所も、きっぱりしている。
(リスクは承知の上?)
日本の花には日本の花の好さがあるから
どちらがいいとか、わるいとか
そういう話ではないのです。

パンジーは、三色スミレとよんでいた。
その頃私が知ってたスミレは
うすいむらさきがかった水色の、タチツボスミレだけだったし
日本のスミレとなんて違うんだろう。
今なら、それは園芸品種だからね、と分っているけれど。

卒園式のあと、門を出ると
先生がパンジーの花束を渡してくれた。
その花束をもって門の前で、記念写真を撮ってもらった。

それは、5、6本のほんとに小さな花束で、
茎の短いパンジーのことだから
幼稚園児にはちょうどいいサイズかもしれない。
生まれて始めてもらった花束だと思う。

幼稚園の頃のこと、思い出すと
アネモネとパンジーも思い出す。
その幼稚園は、もうずいぶん前になくなって
駐車場になっていた。
もうどこにも無い場所だけど
アネモネとパンジーはしっかり咲いている。

去年「ハチミツとクローバー」という映画のポスターをみて
とてもいいタイトルだなと思った。
マンガの原作も知らなかったけど
もともとは外国の詩のタイトルで
しかも、それを日本語に翻訳したときにこうなったらしい。
原題は「ミツバチとクローバー」
でも、ハチミツとクローバーのほうがぐっといいよね。
これは、あまり関係なかったけど、つけたし。

2008/3/3 TRAVELING

いつもより早めに出た朝
そういやコーヒーを飲んでなかった。
お客さまもいないのに、事務所で一人
コーヒーを煎れたらなんだかもったいない
と、一人の時はたいてい、番茶をいれてしまうから、
コーヒースタンドに立ち寄る。
(意味不明?)

地下鉄の駅に隣接した
コーヒースタンドにはいったら
時間帯が異なるせいか、
いつもとちがう感じがする。

外国のにおい、て言ったらいいのか
ロンドンのスタンドバーや
ローマのバールに
朝はやく訪れたときのような雰囲気。

パンの焼きあがる匂い?
コーヒーの香り?
定刻に会社へつこうと、せわしげな人の気配?
それとも、まだ醒め切らない人の、眠た気な気配?

そういったものは、いつもの東京の朝の風景であって
とりたてて普段とかわらないはずで
なにかわからないものが入り交じった空気が、
低い天井にただよっている。

ほんの一瞬、方向を失う。
「海外へ旅行中」といった感じ。
一人暮らしの頃は、ずっと旅行中という感じがしていたけど
日本にいるというのははっきりしていた。
(今、急に思い出しましたが「ティファニーで朝食を」の
女の子のドアにはいつも「旅行中」の札がかかっていましたね)
これは、ちょっと違う。

何年か前、香港でSARSによる死者が出て、
日本でも、発症の危険があるかもしれないという
ニュースがながれていた時。
東京の地下鉄は、なんだか空気がぴりぴりしていた。
日本なのに、日本の空気じゃない。

乾燥した冬の季節とはいえ、
車内の湿気がさらに少なくなって、とても乾いている。
冬の満員電車なんて、暖房に加えて、人いきれで、
むんむんしてるはずなのに。

その朝の、私の錯覚が、なんのせいなのかは分りません。
単純に、その場の外国人率が高かったのかもしれませんし
旅行中の記憶に結びついた、匂いを嗅ぎとったのでしょう。
でも、最近よく感じるのは、
日本、というより、東京の人の雰囲気が
変わってきているんだろうなと思います。

2008/2/24 NO MAKE

私はいつも、すっぴん。
幸か不幸か、化粧しないままここまできてしまいました。

広告の仕事をしていた頃、
私がすっぴんなのを見かねたのか、
メイクさんが、化粧のちょっとしたコツやアドバイスを
撮影の合間に教えてくれたこともありました。
今、思えば、
自分のブランドを持っていたり、
名前のはいったメイクブラシを特注したりしていた
ちゃんとした人達です。勿体ないことをしました。
が、その頃の私のやる気には、まったく結びつかなかったです。

自分の顔をパレットだと思えば、
塗りたくれるかもしれませんが
皮膚呼吸が、出来なくなるような
ピタッと閉じられた感覚に
どうも慣れません。

余分な時間を有効利用できて、幸福?
化粧の楽しさを知らなくて、不幸?
すっぴんで公の場所に行くのは、確かに失礼だとは思うけど
公の場って、なかなか行かないしね。

さすがにこのままではマズイと思ったので、
時々クレンジングオイルを買う店で、
(メイクを落とすためのクレンジングではないのです)
メイクアップ講座というのを受けてみました。

化粧の基本を教えてもらったのは、
高校卒業の年、以来。ずいぶんと前です。
きれいなお姉様達が、
ほぼマンツーマンで丁寧に教えてくれます。
ハリウッドスターのメイクで有名だった人
(のお店)なので、さぞかしすごいテクニックや裏わざを
教えくれるのかと期待してたら、いたって普通。
その場にいたのは20代から40代の女性。
眉の形や肌の色などによって
多少違いはあったけれど、みんな同じメイク。
(年齢は考慮しないのかな?
「基本コースだしね」とは思ったけど)
ちょっと拍子抜けです。

TVで、「どんだけ〜」の人が、
自分のメイクを披露していました。
本職ではメイクのカリスマといわれているけど、
あれは撮影やTVのメイクですから。
普段のメイクとは違います。

ところが、ものすごく涙ぐましい努力をしているの。
正直、びっくりです。
「これはもはやメイクとは呼ばないわね、忍法よ!」
などとおねェ仲間にやじられつつ。
いえいえ、これがきれいになる(見える)ための努力でなくて
なんでしょう、と私は思いました。

やっぱり、きれいになろうっていう情熱がないと、
化粧はうまくならないんですね。

2008/2/16 TROMBONE

中学時代、私は吹奏楽部でパートはトロンボーンでした。
人より手が長いという理由だけで、
選ばれたような気がします。
高校では、トランペットを担当しましたが、
充実感がなく、あっさりやめてしまいました。

80年代の流行りは
スティービー・ワンダーの「恋するデューク」
映画なら「スターウォーズ」にあるような
金管楽器キラキラのファンファーレや
ビックバンドが主流でした。

でも、あんなファンキーなシンコペーションは
いくら練習しても、できるはずもなく。
(学生のブラスバンドではね
がっかりというよりは、あたりまえです)
それよりは私は、スーパートランプの
「Breakfast in America」
が好きだなとひそかに思っていました。

最近になって気づいたことが。
くるりの「ブレーメン」ていう曲のサビ
「楽隊のメロディ てらす街の灯〜」
いい曲で何回も何回も聞いてしまいましたが
そうか、
私が好きだったのは楽団じゃなくて、
楽隊だったのね。少人数でパレードするような。

最近のMacは、CMで
新しいアーティストを発掘してはヒットさせている。
(i-Tunesというシステムもきっとうまくいっているんだろう)

フラテリーズの曲(タイトル忘れましたが)も、
全部聞いてみたら、良かったし。
あ、でもね、「フラテリー」はズルイでしょ。
日本では放送してなかったけど、
某ジーンズメーカーのCMにでてた、
フラットヘッド(平ら頭)のマペットが、
フラテリーっていう名前でした。
ケンケンみたいなイジワルキャラで、
オレンジと黄色と白いお腹。
かわいくて、CM大賞のDVDを手に入れましたよ。

「1234」という曲も、素敵でした。
バンジョーと、間にはいるトランペットがいいです。
70年代風の間奏ですが、とても軽々と、現代風です。

今よくかかってる「New Soul」は、
ヴォーカルとセッションしてる、
トロンボーンがめちゃめちゃかわいいです。

トロンボーンはファンファーレとなれば、
もうカッコ良く、キレキレの演奏ですが、
谷啓が吹いているような(実際の演奏を聞いたことはありませんが
人柄が良さそうでしょ)
おちゃめなキャラも、トロンボーンの魅力だと思います。

今は聞くばかりですが、
チャンスがあったらまた、どんな楽器でもいいから、
バンド始めたいです。

2008/2/10 Como agua para chocolate

ティタは台所で、涙と供に産みおとされた。
母の料理していた、タマネギが
お腹の中の、ティタの目にしみたから。
あふれでた涙は、台所中を水びたしにして、庭へ流れ出ていった。
涙がかわくと、たくさんの塩が残された。
その塩は、台所で何年間も使われ続けるほどの量だった。

ラウラ・エスキバルはメキシコの女性作家。
「赤い薔薇ソースの伝説」の出だしはまるで、おとぎ話のよう。
(私の覚えてるあらすじなので、文章そのままではありません)
何年も前に見た映画が、素敵だったので、本を読んだ。
物語とからみあうような、料理のシーンが、印象的。

ティタに求婚した、ペドロは、
母の拒絶にあって(なんてことか)一番上の姉と結婚した。
末の娘は、母親の面倒を(母が死ぬまで)みるしきたりだったので、
ティタは、結婚もできず、家を出ていくことも許されない。

姉の結婚式のために
ティタは、ウエディングケーキをつくらなければならない。
卵を2個づつ割り入れながら、都合170個
鍋の中で卵がかたまらないように
休むことなく、かき回し続ける。
ティタの目から、涙がこぼれる。

できあがった、ケーキは、おかしな味がする。
食べた人が、もの想いの気分にとりつかれてしまうのだ。
昔むかしに、好きだった人を思い出して、
寝床にはいった料理人のナチャは、
そのまま息をひきとった。
台所を切り盛りするのは、ティタの役目になった。

料理に使う薔薇は、抱きしめてはいけない。
料理に血が混じると、とんでもないことになるから。
なのに、ティタは薔薇を抱きしめた。
大好きだったペドロがくれた薔薇だったから。
薔薇のソースがかかった、うずら料理は、
まん中の姉に、恋の情熱という火をつけて、行方知れずにさせてしまった。

次々と起こる難題から、料理がティタを救ってくれることもあれば、
逆に、料理が問題を引き起こす。
誰かの為に作る料理、誰かがつくってくれる料理。
どれも作り手の愛情がたっぷりとこめられている。
昔風の料理は、それでなくても、時間と手間がかかる。
それらのおいしそうな料理は、悲しい時も、楽しい時も、
いつも、ティタと一緒にあった。
台所は、ティタの世界だったから。

これは女性の物語。
荘園のような古い家を、守ってきた母。
それを引継ぐ長女。
革命に身を投じた次女。
母に反目しつつ、家から離れられない末娘のティタ。
次の世代の子供達が現れた時、ティタは行くべき道を見つけた。
何代もの女達が通って来た道に見えるけど、
古い世界はもう終わり、自分が変えていくのだ。

原題の「Como agua para chocolate」
とは“ココアの為のホットウォーターのように”の意。
ぐらぐら煮立った、お湯が、女性の心情のようなのだろうと、
訳者は言っている。
でも、ココア=チョコレートという言葉には、
なにかウキウキした気分がある。
それが、楽しいことか、悲しいことかは分らないけれど、
なにかがおこる予感のような。

「台所は、貧しい者のいる所」
翻訳をした人は、そう思ってるようだけど、
台所こそ、子ども時代の楽しい思い出がたくさんつまった場所だと思う。

私は、夜おそくなると、本を読むのも、勉強するのも、台所。
私の部屋が、両親の部屋の隣だったので、
遅くまで灯りをつけていられなかったから。
「ベストヒットUSA」を見たのも、
「宇宙の小石」を読んだのも、
染色の課題をこなすのも、台所。
(火と水を使うので)

だからってことはないと思うけど、
食事や料理のシーンがでてくる物語が好きだ。
「チビクロサンボ」
「モモ」
「バベットの晩餐会」
「海辺のレストラン」
「ショコラ」
本も映画も数えあげたら、キリがない。
食べることは、幸せなことの一つだからね。

2008/1/21 MOTOR LORRY

写真、撮っておけばよかった
と、くやまれる場面が、ひとつある。

カメラを持って歩かなくなって久しい今は
目に記憶するつもりでなんでも見る。
忘れるけど。
(まあ、それもしかたがない)
後で絵にしてみて、写真と比べたりすると、
がっかりすることもあるし
写真は写真だから。
それに、私の場合、カメラを向けてると、案外、見ていない。
カメラが記憶していてくれるからと、安心してしまう。

近視なので、遠くは見えないものと思っていたが
子供といっしょにいるようになって
意外と遠くも見えている事に気がついた。
「電車!!」
どこ?
見える見える!ビルとビルのすきまの、高架線。
物が鮮明に見えるか、とは少し違うようだ。

目って不思議だ。
近くを見て
遠くを見て
クローズアップして
ストップして
変形して。
人によっては、見えないはずのものまで。
(あ、それは脳のほう? 
でも目は脳につながっているので、一セット。
見るってことは、脳で再構成するってこととイコールなんだと思う)

マサイの人々が、視力6.0とか7.0とか言ってるのは、
数値で、はかればそういうことなんだろうけど、
なにか、違う種類の話しなんじゃないか?
「見る」と一言でいっても、いろいろあるっていうことだ。

子どもの頃から、キョロキョロしていた。
なにかおもしろいものはないか、
あっちみたり、こっちみたり。
母が、私の手をひいて、幼稚園にいくときも、
あんまりよそ見ばかりしているというので、
怒られた。

今、思えば、母も、出勤途中で時間がないところ、
ゆっくりよそ見して歩かれたんでは、遅刻しそうで、
さぞ、大変だったことでしょう。
おさっしします。
(我が身になってみて初めてわかるというもんです)

写真、撮っておけばよかった
からずいぶんはずれた。

それは、一台のトラックで
ケーブルを巻取る、糸巻きを満載している。
ミシンにつかうボビンと同じ形をした、巨大糸巻きは
木製で、1mから2mくらいまで、大きさも色もばらばら。

ところが重さっていうもんが無い。
安座上真紀子のペーパートイみたい。
どれもこれも、きれいな中間色をしているからだ。
だれが塗ったか知らないが
何度も塗重ねられて、それがまた、いい感じになっている。

絵でかけば、きれいだけど、それでは違う。
リアルなのに、絵みたいな、空言の世界。

そこは今、子供達が訪れる小さな「電車の博物館」。
不思議に現実味というものが薄い。
そういう場所なのかなと思う。

2008/1/12 DRY SKIN

毎冬、乾燥肌でお世話になる、個人病院の皮膚科
知人に紹介してもらって、もう5、6年通っている。
今年も乾燥の季節、行って来ました。

ここではなぜか、おばあちゃんの看護婦さんも、
白衣を着ている。
(なぜ白衣?ナース服は年齢的に厳しい?)
六本木という場所柄か、時々、あやしい会話が聞こえてくるので
思わず耳をそばだててしまうこともありました。

受付の看護婦さんがまたインパクト。
ちょっとでも、不備や間違いがあったら容赦なく
患者さんをはねつける。きっぱり。
ここへ来たからには、私のやり方に従ってもらいます
顔にそう書いてある。
仕事に正確と言えばそうなんだけどね。

おや、診察室に貼紙が?
かねてより80歳になったら、閉院しようと決めていた云々。
ええっ!
先生、そんなお歳でしたか?
(今回のことで改めて思うに、看護婦さんもかなり高齢です
先生といっしょに何年ここで働いてこられたのでしょうか)
全く見えない。60代だと思ってた。
ウチの母より上?
そうだったのかと心の中では思ったが
「お閉めになるのですか」と聞いてみた。
ちょっと残念だったから。

通い始めは、どうも調子が狂うし
正直、気が重かった。

お薬を処方する前に、それ以外の事で
必ず一言ある。まるでお説教。
姿勢が悪い。
下着が悪い。
早寝早起きに。
洗濯は石鹸洗剤で。
お風呂はぬるめ。38℃。
石鹸の泡だけすくって手で体を洗うこと。
などなど、お元気そうな大きな声で、こまごまと指示がとぶ。
しまいには、加湿のために、
洗面器に濡れタオルをつるす図まで、かいて説明してくれた。
(加湿器は以前から使っていたのですが、さえぎるわけにもいかず)

先生の布教活動が成功したのか、
私の乾燥肌も年々、軽くなってきた。
今となっては、いい先生だと思う。
皮膚科でできることは、数が少ない。
ステロイド剤をどれだけ処方するか
が8割くらい占めてるんじゃないだろうか。
結局のところ、生活習慣の中にある、原因を取り除かなければ、
また発症するだけだ。
患者にできる事を、やらなくちゃね。
来冬は、すっかり治まっていたりすると、いいけれど
先の事はわからないので、別の病院を紹介してもらわなければ。

そういうわけで、年の始めに
医者という職業は、80歳まで続けようと思えば
続けられるものなんだなあ、とつくづく驚いた。
ん!
でも美容師のアグリさんもかなりな高齢でしたよね。
(吉行和子、淳之介氏の母)
北斎なんて、90歳じゃありませんでした?
生涯現役をつらぬいた方も、けっこういらっしゃる。
年齢的な意味と、思った事はなかったけれど、
「健やかなるものは、遠くまでいける」のですね。

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